第841号 党首討論 本質に立ち返れ

2018年6月30日 (土) ─

 27日、国会で、野党各党首と安倍総理による「党首討論」が行われました。しかし、政策の議論に深まりは見られず、安倍総理が「党首討論の使命は終わった」と述べるなど、制度の形骸化を指摘する意見も出ています。今回は、党首討論の意義について考えます。

◆党首討論の歴史的背景
 日本では2000年に党首討論が導入されました。その背景には、国会の各委員会での議論が、官庁が作成した筋書き通りに行われる「予定調和」に過ぎないとの批判があり、党を率いる政治家同士が自らの主張を直接戦い合わせる、「政治家主導」の政策議論が求められたという事情があります。

 もともと党首討論のモデルとなったのはイギリスです。イギリス下院では2大政党制を基礎として、形式的には首相への質問の形を取りながら、実質的には互いの党首が自らの政策の優劣を述べ合い、国民に次の政権を選択する判断材料としてもらうという制度があります。日本においては、1994年に衆議院選挙に、政権交代が起きやすいとされる小選挙区制が導入されており、その後の党首討論の導入も、政権交代可能な2大政党制への移行を想定していたものと思われます。

◆機能しない討論
 ところが、現状、日本においては巨大与党に対して野党はバラバラな状態です。それに従い党首討論も、例えば27日に行われた党首討論を例にとると、計45分という短時間しか設定されておらず、その間に5人の野党党首らが次々と総理に議論を挑むという方式が採られました。これでは各党首らが自らの考えを述べる余裕はなく、議論が深まらないのは当然です。

 また、総理出席のもと実質上国政全般について審議する予算委員会との違いが明確になっていないという問題もあります。現在の党首討論では、野党党首らが安倍政権の疑惑追及や政策の批判に終始し、それに対し総理が自らの潔白や政策の正当性を強弁するという、予算委員会でよく見られる構図に陥ってしまっています。結局、今の党首討論のあり方では、当初期待された、党首討論の本質である、政治家が自分の言葉で政策を語り、国民に政権選択の判断材料を提供するという役割が果たされていないと感じます。

◆各党の政策提示の場に
 しかし、私は、だからと言って日本において党首討論が歴史的使命を終えたとは思いません。党首同士が真剣に意見を戦わせる場を持つことは、議会制民主主義にとって必要不可欠です。今後は、政党の党首間の討論であり、政権の選択肢を提示するという、党首討論の本質に則ったあり方を模索していくべきだと考えます。

 例えば、現時点で2大政党制の構図が作れていない以上、総理と各野党党首が1対1でそれぞれ対峙する形には拘らず、ラウンドテーブルを囲んで各党首が特定の政策テーマについてそれぞれの意見を述べて議論し合う形も考えられます。また、討論の流れで、その場で各党首間の合意が行われるなど、緊張感を持った運営を目指していくことが必要だと思います。運用の改善の余地はまだまだあります。国民の代表である政治家主導の政治という理念を持って生まれた党首討論が、道半ばのまま安易に廃止されてはならないと考えます。制度の本質に立ち返り、運用の改善によりその目的の実現を図るべきです。

 

森ちゃん日記「地方議会における課題」
 6月13日、成人年齢が20歳から18歳に引き下がる改正民法が国会で成立しました。一方で、先日告示された山形県庄内町議会をはじめ、過疎地域における議員の定数割れが大きな問題となり、成人年齢の引き下げと平行して、若者の政治参加の促進をどう考えていくべきか関心が高まっています。

 全国的な議員のなり手不足が深刻化する中では、子育て世代や若年層の声が直接議会へ届きにくく、国会でも議連を通じて若年層を中心とする団体からのヒアリングが行われています。そこでは、大学生でも政治家になれるよう被選挙権を18歳へと引き下げる案や、諸外国と比較して高額な供託金を引き下げる議論が行われました。

 まさに、地方議会を維持し、さらにその機能を活発にさせていくには、若年層へのアプローチを地方から模索していかなければいけないと感じています。法改正をも視野に入れた選挙区の設置や地方における議員の副業制限の緩和、次代に沿った定数議論も含めたよりオープンで、ダイレクトに政治に繋がるための課題解決が急務です。議会が住民と直接繋がり、地域の未来に希望を持てる街づくりを目指す場が、新たな議員を育てる環境となるはずです。政治不信を払拭し、政治参加を広く促していく政治家の覚悟がいま問われています。

第841号 党首討論 本質に立ち返れ