第651号 父との別れ 

2014年8月9日 (土) ─

 3日、父が亡くなり、5日に通夜、6日に葬儀を執り行いました。お忙しい中、多くの方のご参列、ご厚志を賜りましたこと、心より御礼申し上げます。

◆「公に奉ずる」生き方 
 父は、陸軍士官学校最後の61期生で、武人としての誇りをもって生きた人でした。士官候補として終戦を迎えた際には、上官が「君たちは生きろ」と言い残し自らに銃を向けたその銃声を、起立したまま微動だにせず聞いていたと言います。 

 戦後は、母と出会い結婚し、私と弟が生まれ、サラリーマンとして一つの会社を勤め上げ、慎ましくも温かい家庭を築き、私たち兄弟を育て上げてくれました。 

 そんな父は、息子である私にとって非常に厳しい一面もある人でした。中国三国時代の武将、陸機が「猛虎行」の中で説いた「渇しても盗泉の水は飲まず、熱くとも悪木の陰に息(いこ)わず」(どんな苦しい境遇にあった場合でも、人としての道を踏み外すようなことをしてはいけない、人から悪い事をしていると疑われるようなことをしてはいけない)という武人の心得を、小さい頃からよく聞かされました。 

 父は、祖父(私の曽祖父)の馬淵金吾を尊敬していました。金吾は、明治期、憲法制定や議会設立の要求を掲げた自由民権運動にかかわり、第二十八国立銀行設立や官営企業設立に尽力しました。「公に奉ずる」その生き方に父は大きな影響を受け、それを自ら実践するため、戦況が悪化する中、国を守るため陸軍士官学校の門を叩いたのだと思います。 

 私は、父への反発心もあってか、当初、企業経営の道を選びました。しかし、政治家となった今、ふと気づくと、幼少の頃より父に叩き込まれた「公に奉ずる」生き方を選んでいる自分がいます。

◆父と母への誓い 
 母が亡くなったのは、今年2月のことでした。このわずか半年の間に両親二人を見送ることになりました。陸軍士官を志した父とドイツ文学者であった母。保守とリベラルという対極にあったとも言える二人が出会い、私が生まれました。日本の伝統文化を大切にしつつ、多様性を認め、皆が共に生きる社会をつくるという私の政治理念は、この二人の系譜の中に位置づけられます。 

 今年も終戦記念日が近づいてきました。昨年の特定秘密保護法の強行採決や集団的自衛権行使容認の閣議決定など、日本の政治は、危うい方向に流れようとしています。その原因の一つが、異なる意見を持つ者の声に耳を傾けようとしない政権の姿勢にあります。それは、安全保障政策だけではありません。原発政策や社会保障政策もしかりです。 

 日本の政治には、政権の行き過ぎを止め、国民の多様な声を受け止め国政に届ける受け皿が必要とされています。そのためには、自民党に対抗しうるもう一つの軸が必要です。それを実現するために、私は政治家としての人生を懸けます。 

 これまでの感謝とともに、政治家として公に奉ずることを誓い、父を送りました。「公に奉ずる」ことの尊さを教えてくれた父と、他者と共に生きることの大切さを教えてくれた母、二人に恥じない生き方をしたいと思います。(了)

 

スタッフ日記「舞台裏で」 
 この季節になると、ドン!ドン!という太鼓のリズムとともに、賑やかな声が街にあふれます。街なかで浴衣姿やハッピの方々を目にすると、いよいよ夏がきたなぁと感じます。 

 7月から8月にかけて、多くの地域でお祭りや盆踊りが開催されています。たいていの会場では、たくさんの出店があり、それに惹きつけられた子供たちで賑わっています。 

 日がおち始めると、一転、櫓(やぐら)を中心に輪がつくられ、盆踊りが始まります。私はその風情ある雰囲気にのまれて、つい見入ってしまいます。 

 盆踊りには独自の歌と踊りで地域の特色がわかる伝統的なものが多いようです。徳島の阿波踊りや福岡の炭坑節は全国的にも広く踊られていますが、関西では河内節も人気のようです。 

 しかし、先日出会った盆踊り講師の方から、小学校の体育の時間に授業の一環として地元の踊りを教えに行ったという話を聞きました。 

 最近は少子化の上、地域の方同士での交流が薄くなっていることもあり、地域の伝統的な文化を知らない子供たちが増えてきた、そんな実感がその先生にはあるのだそうです。 

 その話を聞き、地域の子供たちが楽しみにしているお祭りの舞台裏で、伝統を守り、変わりつつある時代の変化の中でも、子どもたちに地元への愛着や誇りというバトンを渡そうとする方々のたゆまぬ努力を見せて頂いた気がしました。 

 私も地元を離れていますが、やっぱり地域の交流の場が減っていくのはどこか寂しいものです。今年のお盆は故郷・北海道でゆっくりと過ごし、盆踊りにも参加してみようと思います。(特命係長)

第651号 父との別れ