ばら撒きへの判断

2008年11月4日 (火) ─

 麻生総理主導の追加経済対策は、ばら撒きだとの批判が勝るのか、それとも厳しい台所事情への恩恵と受け止められるのか、世論の動向はまだ読めない。

 しかし、いずれにしても厳しい財政事情の中では実は選択肢は二つしかない。

 一つは、負担増。現行の年金制度でいえば、とりわけ現役世代、若年層の負担増が求められることになる。そしてもう一つは、給付減。こちらは、年金でいえば受給世代に我慢してもらうことを意味する。

 もちろん、社会保障のみを言っているのではなくて税と公共サービスの関係と読み替えてもかまわない。この二つのいずれしか現行の財政状況を悪化させない方法はマクロ的にはない。

 もちろん、われわれは税金や社会保障保険料のムダ遣いを厳しく指摘し正せと訴えているが、ムダ遣いの一掃だけで財政事情が好転するものではない。

 景気が良くなれば財政事情は好転する、というのは一つの真理ではあるが、では何を為すべきかはあまり論じられていない。結局、国民に負担増か給付減のいずれを選択するかを恐れずに語ることを政治が避け続けてきたことの弊害が現れだしたとも言える。

 しかし、実はもう一つ選択肢があるよ、とのつぶやき、ささやきが聞こえてくる。負担増も給付減もせずに済む方法。それは、さらなる借金である。もういい、とばかりに次世代に途方もない財政赤字をツケ回しする選択。

 僕自身は「あり得ない選択」と思っていたがなんとなく「緊急時だから背に腹は変えられない」などの声が上るのではないかと恐れる。そして、もし国民がその選択をしたときに、もはや改革などという言葉はこの国には存在しなくなる。

 今回の麻生総理のばら撒き政策は、実はこの恐ろしい「ささやき」を発しているような気がしてならない。健全な判断を国民が、政治家が、できるかどうかの岐路が迫っている。

 追加経済対策への世論動向は、きわめて大きい意味を持つ。

ばら撒きへの判断