第975号 「今」ではない緊急事態解除
18日、菅総理は首都圏1都3県に発令されていた緊急事態宣言の21日での解除を表明しました。
◆合理性欠く解除
解除の理由として、新規感染者数の減少と病床使用率の低下を挙げて説明されていますが、東京の感染者数がほぼ連日前週同曜日を上回り、17日にはとうとう400人を突破した中、何故今なのかと、その判断を疑わざるを得ません。
そもそも3月5日に緊急事態宣言の延長が表明された際の理由は、感染者が減少傾向にあるものの、そのスピードは鈍化しており、リバウンドの懸念も高まっているため状況を慎重に見極める必要があるとするものでした。その後リバウンドは現実となり、また、今後病床使用者の数も必然的に増加が見込まれます。
一種の矛盾と言える今回の解除は、科学的知見に基づく合理的な判断というよりも、思うように感染者が減らない中で出口が見えず、政府の対応にしびれを切らしつつある世論の空気を読んで、というもので、コロナ対応のみならず、日本の政策形成に通底する情緒的判断となってしまったと思います。
◆医療支援の必要性
解除により心配なのは何より感染者の増加と医療です。昨年、2月下旬の休校要請などでいったん感染への緊張感が高まりましたが、3月の3連休で人手が増加し、一気に感染者増加が加速、4月7日の緊急事態宣言発令につながりました。昨年末から年始にかけての爆発的な感染も、同様に人流の増加が原因と考えられます。卒業、就職、転勤などで人の流れが増える年度末、折からのリバウンドと重なり感染が爆発しないかが懸念されます。
また、今でもコロナ病床の確保と治療で、医療従事者の皆さまには大変なご負担をおかけしていますが、ワクチン接種の本格化や、変異ウイルスへの検査などで、今後さらに医療の人手が不足することが想定されます。
せめてコロナ対応にあたっておられる医療従事者には慰労金などの追加支援が必要と考えますし、立憲民主党など野党は支援のための法案を国会提出して本会議でも審議が始まりました。
単に病床使用率が下がっているから医療は安心とするのではなく、現場で働く医療従事者の待遇や疲弊にも目を向けなければ、宣言解除後の医療は危機に陥ると思います。
◆緊急事態宣言の政治的意味
さらに、東京オリンピックとの関係でも、このままでは感染者数が元の木阿弥になり、中止を余儀なくされる事態にもつながりかねません。開催を前提にするならば、開催地である東京においては特に慎重に状況を見極めなければなりません。果たして政府に安全・安心なオリンピックを本気で実施する気があるのかという点でも、今回の解除は大いに疑問を覚えます。
世論の雰囲気により緊急事態宣言を運用するなら、指標に何の意味もないどころか、政治的意図を持った運用まで可能になってしまいます。現に、緊急事態宣言の解除による安心ムードの醸成と予算成立、菅・バイデン会談と畳み掛けて、4月にも衆議院を解散という憶測も流れているようです。「今」ではない緊急事態宣言解除の意味を、問い直してみる必要があると思います。
スタッフ日記 「奈良競馬」
先日、秋篠町で農作業中の方から「わしが若い頃ここは競馬場で、わしは鍛練馬競走のジョッキーやってん」という話を聞きました。
競馬の騎手?それも今の競輪場の東側が?と私は驚き、詳しく聞くと「1929年に尼辻に競馬場ができ毎年春と秋に競馬を開催していたけどコースが短くて1940年頃に秋篠競馬場ができ移転してん、当時日本には軍馬資源保護法ってのがあり、鍛錬競馬競争をやっていた。何年かして戦後に闇競馬が始まったころ騎手募集のチラシを見て、駄目元で面接に行くと体格が小柄なせいか宿舎に入ることができ、1年勉強して騎手になれてん。その頃には地方競馬法ができ、わしが初めてレースに出れたのは新競馬法で県が運営を始めた第一回県営競馬からや」と話してくれました。
まさに奈良県の巨大遺跡です。今でも当時の名残があり、競輪場の駐車場に入る水路沿いには真っ直ぐ伸びている道があり、そこが競馬の見どころの最終直線、平城駅の北側の緩いカーブ道は第3コーナー、そんな想いで歩いてみると何故かロマンを感じます。
続いて、何故なくなったのかとお尋ねすると「戦後しばらくしたら競輪が流行り出し、競馬場の敷地内で仮設競輪場を開設したら競馬より人気が出たからやめたと思うで、競馬はエサ代や他の維持費がかかるけど競輪はそんなにかからへんから」と答えてくれました。
奈良競馬、今も運営していれば「平城記念」や「大仏賞」なんかが開催されていたかもしれません。奈良県にとっても観光収入にプラスされる収入源だったのに、と考えながら秋篠町の歴史に触れた1日でした。(よっちゃん)