第504号 代表選かく戦えり
8/29(月)、民主党の代表選挙が行われました。
6/2に菅総理(当時)が「若い世代に引き継ぐ」と仰ったとき、自分にできることは何かと考えました。そして、この国の有史以来最大の国難にリーダーとして向き合い、自分の持てる全ての力を注ぎ込んで立ち向かう事が自らの使命だと思い、立候補を決意しました。
結果は24票で、力が及びませんでした。永田町の「分厚い壁」を実感しましたが、最終的には私の徳が足りなかった、精進が足りなかった、という他ありません。ただ、私は派閥やグループに所属していません。人が集まり、グループに所属する事は否定しませんが、国民の代表である国会議員が、自らの意志ではなく、こうした「内向き」の論理で全てを決めてゆくことに疑問を感じているからです。従って、私を応援しようと集まってくれた同僚たちは、しがらみを越え、私の理念や政策に共鳴をしてくれた議員ばかりでした。彼らと心を1つにしてこの国のビジョンや政策を議論し、また戦えたことは、私にとっての大きな財産です。特に有権者に一番近い感覚を持っている一期生達が私の思いを真正面から受け止め、中心となって動いてくれたのには感謝の一言です。支持拡大の電話をする中で、ある一期生議員が他陣営の議員に「一生懸命応援できる候補がいてうらやましい」と言われたと聞きます。そうした話を聞くと、負けはしましたが、1つの布石は残せたかと思います。 派閥・グループの問題は選挙戦を通じてずっとついて回りました。民主党が「内向き」「国民を見ていない」とのお叱りを頂く中、私としては徹底した政策議論を行い、国民にもオープンな形で政策中心に代表を選ぶ、そんな代表選にしたいと思っていました。しかし、マスコミも、公開討論会でも、ほぼ必ず小沢氏との距離や、その処遇が問われ、多くの時間が費やされました。代表選を政策論争に引き込めなかったのは残念ですが、政策議論をリードしてきた現実の時間は存在しており、それにより原発問題やデフレ脱却など政策の方向性がまとまっていった事には満足をしています。
第1回目の投票では、当然自分に投票をしました。そして、第2回目の決選投票では、私は海江田さんに投票をしました。増税は今すべきでない、デフレ脱却最優先など、政策の面での一致があったからです。私はかつて野田グループの一員でしたが、今回「グループの論理ではなく政策で」と主張し続けてきた私は政策で判断するという筋を通しました。
なお、NHKの誤報問題もありましたが、私を支持してくれた皆さんは、そうした私の考えに賛同し、盲目的に追従することなく、それぞれが責任を持って自分で考え、自立的な選択のもとに決選投票に臨んだと思っています。
当選3回、議員生活7年9ヶ月の私の挑戦はご批判の声を頂くこともありました。一方で全国の皆様から多くの応援を頂き、励まされました。私は民主党こそが一切のしがらみを断ち切って、国民の暮らしを守り、国民に向かって発言ができ、行動ができる政党だと信じています。永田町の厚い壁について「限界を感じたか?」という聞かれることもあります。しかし、自らが限界だと感じてしまってはその先には進めません。まだ相当努力しなければなりませんが、馬淵澄夫の挑戦は続きます。 (了)
スタッフ日記「首班指名を見て」
8月29日に民主党代表選が行われました。そして、8月30日には野田新総理が決まりました。馬淵事務所のインターン生として、新総理が誕生する首班指名の瞬間を生で見ることができました。そこで感じたのは、まずカメラのフラッシュのすごさでした。以前、本会議を見たときは、ほとんどフラッシュがなかったのですが、首班指名の際は、ものすごいフラッシュで、黒のスーツが真っ白に見えました。僕も一度でいいからあれほどのフラッシュを浴びてみたいと思いました。
また、戦った候補をたたえるのも、さすが国会議員だなと感じました。今回戦った代議士をはじめ、今回代表選の候補者だった議員が投票するときには、候補者を称え大きな拍手が送られていました。
また、民主党内で激しい選挙戦を行ったにも関わらず、民主党議員が一致して「野田議員」に投票したこともさすがなと思いました。昨日まで戦っていた仲間が一致団結しているのは、見ていて気持ちよく感じました。
国会議員らしくないなと感じたのは、議長に対するお辞儀です。民主党議員は、議長が本会議場に入られると、全員起立し一礼されます。一方、野党議員は議長が入られても、何もしません。国会議員は、国民の代表なので、最低限の礼儀はすべきだと感じました。
最後に、野田新総理には少しでも良い国になるよう頑張っていただきたいです。また、自分も一国民として国のために何が出来るかを考えていきたいです。(スローピー)