50年前の原子力災害補償の考え方

2011年7月12日 (火) ─

 先週本会議で原子力損害賠償支援機構法案の代表質問が行われ、いわゆる東電賠償スキームが審議がスタートした。以前より、東電賠償スキームの問題点を指摘する発言を繰り返してきたが、国会でのより現実的な修正が行われることを期待している。

 すでに、関係省では修正を前提とした人事がなされていると聞かされている。ならば、初めから修正の必要のない案になぜできなかったのかとの想いがよぎる。

 結局は、国の賠償責任を正面から取り上げることに反対する財政当局の強い意向を忖度した結果であろうことは容易に想像がつく。

 昭和36年に成立したいわゆる原子力災害補償二法「原子力損害の賠償に関する法律」及び「原子力損害賠償補償契約に関する法律」の立法趣旨においても、この国の責任についての激しい議論がなされていた。

 原子力被害者の保護をはかると同時に原子力損害賠償の責任をもつ原子力産業の経営の破たんする恐れのあるような形の賠償措置では困るので、立法趣旨は被害者の保護と原子力事業経営の健全な育成を前提にして損害賠償が完全に行える体制を作ることが必要だとしていた。

 しかし、この当時でも国の責任については消極的な財政当局がいた。

 昭和36年10月15日号の「ジュリスト」における「原子力災害補償をめぐって」という座談会で、当時の立案責任者でもあった前科学技術庁原子力局政策課長の井上亮氏はこう語っている。

「当初関係官庁の担当官は、原子力事業の健全な発達に資するために国が助成措置を講ずることはできるけれども被害者の保護を国が直接責任を負う形ではかるということはできないと主張された。由来日本の財政支出の考え方、国の財政支出面における役割としては、第三者たる被害者に対して直接損害賠償責任を国が負って支払うというような前例は明治以来ない。このような前例を作ることは他の産業災害についても波及し、国の財政負担は厖大なものとなる虞れのあることを懸念し、この法体系全体を通じて、被害者の保護をはかるということは目的の中に入れるべきではない。~というような考え方があったわけであります。」

かように、かつての二法についても財政当局の強い意向が働いていた。

 転じて、50年後の今日。

 同じ呪縛によって、同様立法趣旨の法案が提出された。

 しかし、50年の歳月を経ての今般の大事故は、改めて「国策民営」で進められた原子力政策の問題点を浮き彫りにした。

 原子力の在り方は、今後さらに議論が必要だが、まずは「国策民営」から、国が責任の所在を明らかにする「国責民営」を謳わなければならない。

50年前の原子力災害補償の考え方