102と304と404

2011年7月10日 (日) ─

 関西も梅雨明けしたのかな。と思うくらいすさまじい暑さ。久しぶりの地元のジムで、東京とどっちが暑いですかと聞かれて「そりゃぁ、もう比べもんにならん!」どう転んでも、奈良のほうが暑い。

 昨日は朝から大阪でテレビに出て、奈良に戻り1区幹事会。さらに久しぶりの街頭演説。厳しい声を浴びせられるのも覚悟で、マイクを握り実に一年ぶりの地元での街角での訴え。

 マイク一つで、言いたいこと、訴えたいことを気兼ねなく発信できることに無上の喜びを感じる。今日のこの政治の体たらくは、自分も含めて反省しつつそれでも変えていかなければならない、前進させねばならないの思いは強い。

 しかし、通りゆく人、立ち止まる人、いずれも奈良の皆さんはあたたかい。先週の「たかじんのそこまで言って委員会」の影響が奈良では如実に表れているだけかもしれないけれど...。

 今後は、しばらく留守にしていた地元活動、東北被災地支援さらには地方支援にと出ていきたいと思う。

 地元と言えば、先日、地元奈良出身で東京で活躍されている樋口泰行マイクロソフト社長、笛吹雅子日本テレビキャスターとご一緒した。震災もあり、なかなか都合がつかなかったのだが遅めの時間で三人顔をそろえることができた。

 実は、この三人は同じ奈良というだけでなく同じ鶴舞団地の出身。しかもお互いが向かい合わせで住んでいたという偶然。樋口社長と笛吹さんが61号館、そして僕が60号館。

 三つ上の樋口社長は、子供のころから一緒に野球をして遊んでいたまさに僕らの「ニイちゃん」。笛吹さんは八つ下だから僕が中学の頃で幼稚園。ほとんど接点なかったよなぁ、でも確かお姉ちゃんが弟と同級生だったな、なんてことを話していた。

 いずれにしても、同じ時代に同じ空間で過ごしていた三人。しかも、団地同士でお向かいですね、と笑いあった。それぞれが、部屋番号を思い出しながら、「304です」、「102!」、「確か404」などとお互いを番号で呼び合っていた。

 震災で、あらためて一人一人が大切にしている地元・ふるさとへの絶ちがたい想いがクローズアップされている。「復興」の二文字は、この国の人々の大切な故郷への想いが込められた言葉。

 東日本のみならず、全国の、「復興」が待ち望まれている。

102と304と404