第556号 総理の問責決議

2012年9月1日 (土) ─

◆総理の問責
 8月28日、参議院で野田総理大臣に対する問責決議案が可決されました。総理大臣への問責可決は福田総理、麻生総理に次いで3人目ですが、民主党政権下では初です。通常国会の会期末は9月8日ですが、これで参議院は開かれることはなく事実上の閉会状態となり、赤字国債発行を認める特例公債法や、0増5減などを含む選挙制度改正法も成立の見込みはなくなりました。 

 2年前の2010年11月27日未明、私は国土交通大臣として当時の仙谷官房長官と共に問責を受けました。その際は、衆議院での不信任決議案は否決された上での問責決議でした。そして翌年1月、内閣改造に伴い閣僚を退任いたしました。 

 しかし、その後の一川防衛大臣、山岡公安委員長、前田国交大臣、田中防衛大臣と続く問責決議は、衆院での不信任案などすら出さない問責→退任のエスカレータ式の手続きになってしまったかのようです。 

 さすがに、総理への問責はその前段として8月9日に衆議院本会議で不信任決議案が否決されるプロセスがありましたが、いずれにしても問責による国会の機能停止は否めない状況となったわけであります。 

 過去を見てみると、福田総理は問責可決後10日で通常国会を閉会し、その後臨時国会を開かないまま突然の辞任表明をしました。また麻生総理は問責可決後1週間で衆議院を解散してしまいました。 

 したがって、問責決議後の総理がその後の国会運営をした例は憲政史上ありません。果たして、秋の臨時国会並びに解散総選挙含めた政局はどのように動くでしょうか。

◆臨時国会は開かれるのか
 決議後マスコミ等では「臨時国会は開かれない」という論調が大勢をしめています。問責決議の総理を、野党支配の参院側が受け入れて審議に応じることはできないという理屈です。 

 しかし国会の開会は内閣が決定し、天皇陛下の名の下に召集されます。つまり、野田内閣が開会を決めれば、参院が応じるか否かは関係なく理論上は開けるのです。 

 もちろんその場合、参院は動かない事は確実であり、衆院でも野党欠席のまま国会日程が進められることになりますが、不正常な状態でも総理が所信表明演説を行って自らの考えを表明することができる上、衆議院の優越により、補正予算を通すことも可能となります。 

 ただ、実際には憲政の常道から踏み外すような行為はあってはならないことです。そうなると先の例に従って総理の交代が現実味を帯びます。 

 一方で、解散の確約を公表することで折り合いつけて国会開会だけは合意し、臨時国会冒頭の解散まで、という事態も考えられます。 

 国会運営は不透明な状態となりました。このような状況の中で民主・自民両党ともに党首選を迎えることになりますが、国民はそれよりも正常な国会運営による現状の改革に関心を持っています。私自身、このような状況での代表選挙について、大義を見出すことは非常に難しいと感じています。それよりも、まず自らが政権与党として行ってきたこの3年間の施政を振り返り、真摯に向き合うことが必要です。(了)

 

スタッフ日記「夏の終わり」
 お盆もあっという間に過ぎ、夏も残り僅かといったところでしょうか。残暑の日が続いておりますが、セミの声も一日また一日と大人しくなり、秋の香りを感じます。

 思い起こせば、小学生の頃は毎朝ラジオ体操へ行き、気付けば宿題がギリギリで慌てて取り組むのが夏の終わりの恒例行事でした。 

 しかし、今年は一味違います。私にとって社会人として初めての夏です。奈良の暑さにじっと耐え汗をかき、休む間もなく突き進んできたという印象です。 

 そして、お盆休みに故郷の北海道に帰省し、懐かしい故郷の街で友人や家族との再会を済ませ、思い立ってお墓参りに行ってきました。草深い山中の長い階段の果てにあるお墓の前で、線香と祖父の大好きなタバコを供え、手を合わせていると、背中から、懐かしい声が。振り返るとお供えを持った祖母が立っていました。 

 「一人で来たのかい、立派になったねぇ」。そういうとなぜか祖母は涙ぐんでいました。帰り道で並んで歩いていると、自分が生まれたルーツに感謝し、いまをどう生きていくべきなのか、どうしてこの道を進んできたのかと感慨深い想いになりました。 

 私を含め、私達の世代は古いしきたり、習慣に触れる機会が減ってしまいがちです。社会が移り変わっていく中で消えてしまいそうな、大切なものを一つひとつ立ち止まって考え、日本で生まれた事を誇りに思うと共に、家族への感謝の気持ちを忘れない社会人になりたい、と思った夏の終わりでした。 (特命係長)

第556号 総理の問責決議