第545号 原発再稼動と安全 

2012年6月16日 (土) ─

 8日、野田総理が大飯原発再稼動の方針を発表しました。 

 現在、福島第一原発事故の検証は終わっておらず、原子力安全委員会などの専門家集団が策定すべき安全基準は議論も始まっていません。また、保安院が検討した30項目の安全対策に関して完了しているものはわずかで、いつ非常事態が起きてもおかしくありません。 

 加えて大飯原発に関しては、その非常事態が起きたときに十分な対応が出来るかどうかにも疑問符がつきます。 

 大飯原発は、半島の先端に位置しているうえ、アクセスするためには貧弱な一本の道路しかないため、大地震発生時に孤立し、外部からの対応が困難となる可能性があります。つまり、最悪の場合、事故発生時に福島の時のような外部からの応援は期待出来ず、発電所内の施設だけで対応せざるを得ない可能性もあるのです。 

 しかし、その設備を見ると、非常時の対応能力は福島第一原発よりも劣っています。 

 こうした状況にもかかわらず、原子力の素人である政治家だけで再稼動を判断しようとしている、これではいくら政府が「安全」とうたっても、国民が不安に思うのは当然です。

◆不安定な「安全」
 3.11以降、「安全」という言葉は大変不安定なものになってしまいました。しかし「安全」が原発の是非を考える上での明確な判断基準であるために、一刻も早く事故の検証を行い、人類の英知を結集した安全基準を策定しなければなりません。 

 「安全」を考慮する上で最も工学的に検討されるべき「地震動評価」も相変わらず人為的な判断に委ねられたままです。 

 例えば、3.11以降多くの活断層が発見されるなど、防災上想定される地震外力は増大する傾向にあります。しかし、これまでの調査や評価、基準のどこに問題があったのかも明らかにされないまま「安全側への移行」だから、とこの方向転換を歓迎してよいものでしょうか? 

 これまでも事実に基づいてそれらの脅威を理論的に想定することは可能でした。にもかかわらず、人為的な判断で想定しなかっただけなのです。こうしたやり方を改めなければ想定外の大きなリスクは依然として存在し続けます。まずは調査や評価の判断根拠について基準を明確するべきなのです。

◆まず行うべきは… 
 リスクの高い原発を安全と言い切り、再稼動させる、その意義について野田総理は「国民の生活を守る」事をあげました。 

 確かに日本は資源に乏しく、原発を全く再稼動しない選択は大変難しいものです。 

 しかしながら、福島第一原発事故後の状況を考えると、何よりも優先されるべきは「安全」であるとを痛感します。総理は計画停電により命の危険にさらされる方々について言及しましたが、原発が一たび不測の事態に陥ると、もっと多くの命が危険にさらされるのです。存在する全てのリスクを国民にきちんと示した上で判断をすべきなのではないでしょうか。 

 従って、今回の再稼動にむけた動きは極めて時期尚早で、規制庁発足後に安全基準を整備し、安全対策の実施状況を考慮し、専門家の意見をふまえた上で再稼動の可否を判断すべきだと考えます。(了)

 

スタッフ日記「父の日」
 6月の第3日曜日は「父の日」です。

 父の日は、もう100年以上も前、アメリカのワシントン州スポーケンという街で始まりました。母を早くに亡くした女性が男手一つで6人の兄弟を育ててくれた父を讃えて、教会の神父にお願いし父の誕生月の6月に礼拝をしてもらったがきっかけと言われているそうです。当時すでに母の日が始まっていたため、「母の日のように父に感謝する日を」と訴えたとのこと。 

 母の日の赤いカーネーションに対し、父の日に赤いバラの花を贈る習慣もこの頃始まったと言われています。1972年にはアメリカでは正式に国の記念日として制定されました。 

 私の子供の頃の父の日の思い出はすき焼きです。プレゼントを買って帰り、おめでとう!と渡すと、父はうれしそうな顔をして「今夜はすき焼きや」と母に言うのです。 

 そうなんです。我が家の記念日、誕生日や子供の日などお祝い事はすべてすき焼きだったのです。家族で商売をしていた関係で、母の手を煩わせず一番手っ取り早く子供達を喜ばせる方法だと父は考えていたようです。 

 初孫も生まれ、先日お宮参りも済ませました。さすがにお祝いにすき焼きとはいきませんでしたが、早く一緒に食卓を囲む日が来るのを楽しみにしています。孫の時代になっても家族が楽しく一家だんらんの時を過ごせる、そんな社会の実現のためにも代議士には、一日も早く首相官邸に行ってもらわなければなりません。皆様の更なるご協力よろしくお願い申し上げます。(スギ)

第545号 原発再稼動と安全