心を耕す

2006年5月21日 (日) ─

 薬師寺の大谷徹奘執事との二人会、「一語一会」を催す。

 土曜日、休みの日の朝早くというのに学園前ホールは満員御礼。会場あふれてロビーでのモニターでご覧になる方もいらっしゃるなど、会場定員を大きく上回る方に駆けつけていただき感激ではあるが本当に申し訳ない思いでいっぱいである。

 エキストラのいすも用意したのだが、それでも間に合わず多くの方にご迷惑をかけてしまったことをこの場を借りてあらためてお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。

 控え室で、会場の入りを見ていた徹奘さんからは、「ありがたいですね...。」との言葉をいただく。多くの参加者の方、そして忙しい中時間を割いてくださった徹奘さんはじめ薬師寺関係者の皆様、そしてスタッフの仲間に感謝を抱きつつ、会は定刻どおり10時に開始。

 徹奘さん揮毫の「まぶち会」のタペストリーと、うるさく言ったせいかもしれないが(!?)、トシの書による手作りのタイトル看板と、ウガちゃんの娘さんの手によるアレンジメントフラワーで、質素にかつ心のこもった舞台設営がなされている。

 そこに、今日は政治家としてではなく「一人間」としての「まぶちすみお」が、「師」と仰ぐ徹奘師のご紹介をさせていただく。

 徹奘師の法話の後を受けて、二人のトーク。

 出会い、絆、家族、大事にするもの、こと、などから家族観価値観、などを会場の皆さんと共に考えようという視点でお話させていただいた。

 あっという間の2時間。

 会場は、終始熱気一杯だったが、最後に何とも「ホンワカ」と暖かい空気に包まれて閉じた。

 本当に、ありがたいひと時を過ごすことができた。とてもとても、並んで語るなど及ばない立場であることは重々承知はしているが、そこは「お師匠さん」の好意に甘えてこうして、共に語らせていただくことができたことを、ありがたく思う。

 閉会後、徹奘氏はその後の大阪での講演があるということで飛んで出ていかれた。年間400回も法話の講演をこなされるとのこと、その忙しさはわれわれの世界とはまた別ものである。人の悲しみや憎しみや苦しみという業を受け止めながら、仏の道を伝える修行の身、自らをどのようにコントロールするのだろう?、と思わずうなってしまう。

 しかし、そこは仏に仕える身、超越した世界にもはや立たれている。徹奘師から「政治家に教えを説くのは坊主だけですから。」とにこやかに語っていただいた瞬間が今も脳裏に浮かぶ。

 多くのご参加の皆さんの気持ちをいただきながら、「心を耕し」ていただいたのは、誰あろう、私自身だった。

心を耕す