君への鎮護を誓う
本日、政府提出の障害者自立支援法がとうとう成立した。本日の本会議で、賛成多数で可決したのである。
この法案には、本当に多くの想いがよぎる。
もう、内容については記さない。この日記でも再三、お伝えしてきた。前国会で廃案となった後に、総選挙圧勝を受けての政府再提出の同法案に対して、民主党も対案を示した。しかし、多勢に無勢、残念ながら可決となってしまった。
夏前に、若きスタッフの突然の訃報に事務所全員が喪に服したことを記した。
全員が言葉を失い、その失意と悲しみから脱するのにそれぞれが多くの時間を費やした。
私たち夫婦も同様に、悩み苦しんだ。彼を苦悩に追いやっていたのではないだろうか?。ずっと、この自問自答の繰り返しだった。
選挙前、四十九日を経て、夫婦で葬儀後にやっとご両親とゆっくりお話できる機会を得た。
スタッフとして頑張ってもらえていたと思っていたが、一方で負担が彼に圧し掛かっていたのではないかの思い。それが、彼にとって命を絶つ引き金となってしまっているのではなかったか、の思い。
彼は、精神障害であった。
この5年間、ボランティアとして関わりながら、その障害ゆえに定常的な活動が困難な状態にあり、「無理しちゃダメだよ。」と常に気にはかけていた。それでも少しでも社会に触れる機会を提供できるなら、との想いで彼を迎えいれていた。
長らくの付き合いの中で、ようやく、「だいぶ良くなってきたので、お医者さんから週2、3日なら働いても良いとの許可をもらいました!。」との彼の嬉しそうな言葉を受け、有給スタッフとしてあらためて迎え入れた。
政治が三度のメシより好きで、私のようなものの演説を「代議士、最高です!。」といつも、ほめてくれる彼の取り組みは、いつもこちらが励まされた。多くの支持者の方から、「あの礼儀正しい事務所の人。」と称されるような姿勢を貫いてくれた。事務所の皆からも、愛されていた。
障害者自立支援法が国会の俎上に上ることになると、「精神障害にとって、通院公費は命綱です。代議士、何とか手を差し伸べてください!。」と必死になってその窮状を訴え、実態を教えてくれた。
彼の想いとあわせて、彼の周りの多くの方からもご意見を受け、私も必死に取り組んだ。
しかし、突然の、彼の死。
それは、定期的に彼が訪れるクリニックの帰りがけのことであった。
ご両親からは、「突然の死の選択。それこそが、病だったのかもしれません。」との言葉をお聞きする。
「息子は、先生のところにお世話になって、本当に心から喜んでいました。」のお父さんの言葉に少し救われた気がした。
私の、脳裏からは今も彼のあのうれしそうな「返事」が離れない。
「○○ちゃん、街宣、行くか!?。」
「ハイ!、喜んで!!!。」
喜んで、一緒に街宣してくれた彼は、もういない。
ゴメン、自立支援法、通っちゃったよ。
ホントに、ゴメン。
必ず、正していくから、絶対、正していくから。