一年を振り返って
まもなく、紅白歌合戦が始まる。
わずかな合間を縫ってとなるが、みなさんへ一年間の活動ご支援の御礼の意味を込めて年末のご挨拶を。
この一年は、個人的にも大きな変化の一年であった。
年明け早々の4日に父の末期がんが明らかとなって、二週間後には緊急の手術。術後の緊迫した状況もあったが、峠を越えたと思ったら2月7日に母が逝った。選対委員長として第一次公認内定者を決定し、鹿児島2区補選の準備を進めている最中での党大会をはさんでの母の通夜葬儀となった。
4月には鹿児島2区補選、そしてそのまま滋賀県知事選挙に突入。
全国を行脚する中、補選や首長選挙など一つ一つの地方選をしっかり闘うことの重要さを実感しながら、闘い方の模索は続いた。そして、滋賀県知事選では三日月知事の誕生を見ることができた。
8月に入り母の初盆を、と思っていた矢先に今度は父が8月3日に永眠する。半年の間に両親を見送ることになった。
そして、9月の人事で再び選対委員長を拝命し、岡田克也代表代行の下で選挙実務を引き続き取り仕切る。それまで進めていた選挙区調整、野党との連携を継続しながら、安倍改造内閣の「政治とカネ」による政権運営のつまづきに、なにやら不穏な動きがあるのでは?と思いだしたのがこのころだ。
さすがに、選挙対策の立場で発言は慎重さを求められるところだが、選挙は年内にある!と直感して自ら準備をはじめ、周辺にはそのことを伝えだした。
10月22日の菅官房長官の午前の会見で消費税引き上げ先送りを確信してからは、選挙調整及び党内での選挙準備に全力を尽くした。
11月半ばには、氏神様で両親の喪中からの忌明け祓いを執り行っていただき、闘いの準備へ。
そして、11月21日の解散、12月14日の総選挙。
自身は、5期連続の小選挙区当選を果たすことができた。
一方党勢はと言えば選挙直前の勢力は55議席。選挙後は73議席。三桁を目指すと公言してきた以上、その責任は背負わなければならないと覚悟。しかし、微妙な議席増でもあったが海江田代表の落選による辞任を受けて、党内は代表選をめぐって政局化。
自らの出馬も含め取りざたされたが、ここはそういう局面ではないと判断し、かつ自らが過去に二回出馬したのも党の抜本改革を新たな次代を担うものが行わなければならないとの思いからだったことを鑑み、細野豪志候補の支持を表明したのが、特別国会最終日の26日だった。
今年の一年を、最後の最後まで「選挙」で締めくくったことになる。
新年から、代表選挙。
そして、通常国会。
その準備も含めて、新たなステージへと歩み出す。
激動の一年間でしたが、年末の総選挙含め多くの皆様にご支援ご支持いただきましたこと、あらためて感謝申し上げます。本当に、ありがとうございました。
これからも、全力でがんばってまいります。
それでは、皆さま、良いお年を!