ヤクザと牧師

2006年7月13日 (木) ─

 刑に服しているヤクザと贖罪の日々を導く牧師、の話ではない。

 ヤクザ、暴力団の構成員として抗争・暴力やクスリに明け暮れた日々から、神の教えに出会い改心して牧師さんとして生きる人たちと出会った。

 突然、私の事務所に連絡が入り、一度会いたいとのお申し出であった。

 「25年間極道の世界にこの身を投じておりました」と始まるそのメールには、今日までの苦悩の日々の様子が記されていた。

 牧師さんに会いに行こう。入れ墨背負った牧師さんが、青少年の更生に命をかけている姿を自分の目で見てみよう。

 訪れたのは、大阪の弟子教会。牧師長の金沢さんとメールをいただいた青木さんが道路に出て、出迎えてくださる。

 お二人が、なぜ「極道の世界から足を洗った」かの話はリアルに迫る。お一人は抗争の最中、拳銃を乱射され日本刀を振り回されて追いかけられた中、立ち向かえない自分の弱さといきがって生きていくことのギャップに、ほとほと疲れたからという。そして、お一人は同じく抗争で首をステンレスの包丁で切られたとき、もしそれが鋼であれば頚動脈が切られていたとの実感から心底恐怖を味わい、命を粗末にしたくないとの思いに駆られたという。

 そして、さらに覚せい剤の薬漬けの日々。刑務所を出入りしながら、「カタギ」へと導いてくれた神の教えとの出会い。まさに、実体験を通して「更生」を語る牧師さんの言葉は重い。お茶を出してくれたお嬢さんも、覚せい剤漬けから立ち直ったという。

 牧師さんたちから、「更生できてよかったな!」と声をかけられるとうれしそうに「ハイ!」と元気な返事。今は、同じく牧師への道を歩くために神学の学校に通っているそうだ。さわやかな彼女の笑顔に、重々しい体験を示されながらも救われる。

 青少年や、暴力団に関わってしまった人たちを必死に更生しようと実践されている弟子教会の皆さんと、お役に立てることは何でもさせていただくことを約束して、辞した。

 本当に、いろんな苦労を糧とされている方々がいることをあらためて知らされた。

ヤクザと牧師