より厳しい被爆地の声
長崎平和公園での被爆70周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に出席。
広島もそうだったが、70周年ということでここ長崎の式典も多くの内外からの出席者が集っていた。開式直前に現れた安倍総理の表情は、広島の時よりもいっそう厳しいものだった。
広島での式典では、主催者の広島市長は「平和宣言」で政府に求めることとして、
「核保有国と非核保有国の橋渡し役として、議論の開始を主導するよう期待するとともに、広島を議論と発信の場とすることを提案します。また、高齢となった被爆者をはじめ、今この時も放射線の影響に苦しんでいる多くの人々の苦悩に寄り添い、支援策を充実すること、とりわけ「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。」
と述べて、核問題と被爆者支援を訴えるにとどめた。
しかし、長崎市長は違った。明確に政府に対して、そして国会に対して、安保法制について語った。
「70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が拡がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯な審議を行うことを求めます。」と。
自治体の、行政の長としては、ギリギリだ。「被爆地の声」の代表としての、相当の、決意の表れでもある。後にテレビで見た、その時の総理の表情は、一瞬、口元が歪んだ。
市長の長崎平和宣言が終わると、会場内からは大きな拍手がわき起こった。列の後方から、一生懸命、総理の姿を見ていたが、隣の大島衆院議長は市長の挨拶に対して拍手をしておられたのが見えたが、総理は、固く手を握りしめ、拍手をしなかったように見えた。
さらに、被爆者代表の「平和への誓い」は、より直接的だった。「今集団的自衛権の行使容認を押しつけ」、「戦時中の時代に逆戻りしようとしています。」とし、安保法案は「許すことはできません。」と強く、言い切った。
これらを受けての総理挨拶。会場に緊張感が走った。
広島の時と同様に総理への大きなヤジも飛び、総理がそれに気を取られる場面もあり、終始落ち着かない様子だった。かついつもそうだが、よりいっそう早口で語り、国会で約束していた非核三原則についても「堅持しつつ」というのがよく聞き取れない有様だった。
いよいよ、世論は「政権にNO」を突きつけだしている。雑誌などでは、退陣論が一斉に報じられるようになってきた。敗戦を決定づけた、70年前の長崎への原爆投下。
より厳しい、被爆地の声は、総理に、どう響いたのだろうか。