「未来志向」をはき違えた談話
本日夕刻、安倍政権は戦後70年の節目を迎えるに当たっての「内閣総理大臣談話」を閣議決定した。
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html
この談話については、これまでの総理の発言によって、様々な憶測が語られてきた。
私は、当初よりこの談話について3つのシナリオを想定していた。それは、
(1)村山、小泉談話をほぼ踏襲
(2)「心からのお詫び」、「植民地支配と侵略」のいずれか、ないしは別の表現などでいずれも後退
(3)「心からのお詫び」、「植民地支配と侵略」のいずれか、ないしはいずれも削除
の3パターンだった。
果たしては今回はどうだったか。
結果、想定していたシナリオ(2)の、「表現後退」で、来た。総理は、あれほど抗っていた「お詫び」にも触れざるを得ない状況に追い込まれていた。参院での安保法制審議の迷走を受け、本人の意向とは異なる方向を向かざるを得なかったのではないか。
だから、結果、総理の意思が、ある部分不明瞭なものになっている。
例えば、「侵略や植民地支配、痛切な反省、心からのおわび」というキーワードは入ってはいるが、引用などの形で、仕方なくキーワードを載せている、との印象は拭えない。
総理自身の本心からの考えがどこにあるのかが、わからない形だ。
一方、総理の独自色が出ている部分は、談話の最後の「その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ」の部分だ。
歯止めなき集団的自衛権行使容認に向け、安保法案の成立を目論む安倍政権が、戦後70年、日本が堅持してきた平和主義を変質させる姿勢を前面に押し出したとも言える。ある意味、総理にとって本来、この姿勢を伝えたいがための談話だったのではないか。
そして、そのような総理の意思に、強い危惧の念を抱く。
本来は、戦後70年の節目に、我が国が振り返るべきは、先の戦争がなぜ起きたのかを、戦後70年の我々の視点で再整理することだ。
真の「未来志向」とは、過去の過ちを曖昧にすることではなく、過去を冷静に見つめ直し、その教訓を今、そしてこれからに活かすことではないか。
しかし現在国会審議中の安保法制を見ると、戦前の反省と教訓が活かされているとは到底言えない。戦前、軍部は大日本帝国憲法の統帥権の部分を都合良く解釈し、結局憲法を骨抜きにし、暴走していった。
そこには、際限なき裁量行政と、誰が責任を持つのかさえ明確ではない無責任の連鎖があった。安保法制において、政府は憲法を解釈改憲によって変更し、不明確な基準のもとに海外派兵を可能にする法案を、国民への説明も不十分なまま、成立させようとしている。
総理は、安保法案は戦争を未然に防ぐためのものと説明するが、総理の発する言葉と実際の行動にはあまりにも差がある。
もう一つ、気になる点があった。
「その先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」のくだりだ。
戦後生まれの世代が謝罪を引き継ぐか否か、そもそも判断すべきは、総理自身ではななく、我々の子、孫の世代自身である。
彼ら彼女らの意思を無視してパターナリスティックな視点で、「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というのは、総理自身が自らのイデオロギーの正当化に、情緒的に将来世代を持ち出しているに過ぎない。
これは、昨年の集団的自衛権行使一部容認の閣議決定記者会見の際、総理が、行使容認の必要性を説明するため、母親と幼児のパネルを示したのと同じ発想と意識構造だ。
我々の世代の責務を果たすことは当然ではあるが、我々の世代ができることは、子、孫、先の世代の子どもたちが、自らの判断で謝罪すべきか否かを決定できるよう、十分かつ正確な情報や経験を伝えること、そして願わくば今回のように「謝罪」が過度にクローズアップされるようなことがないような関係国との良好な外交関係を築くべく努力することではないか。
戦後70年に際し、先の戦争の教訓を胸に刻み、私自身がこれまで取り組んできた「政治の不作為による無責任の連鎖」、「官僚組織の無謬神話にとらわれた際限なき行政裁量」を正すという自ら課した政治課題に引き続き取り組んでいくとともに、冷静かつ現実主義の安保法案の対案を提示し、政権に対峙していきたい。