「新」は「乱」
2009年12月12日 (土) ─
今年の漢字が発表された。
「新(しん)」。
政権交代も含め、新しくなった、新たに変わった、ということの世相を表すんだと思う。
しかし、僕なんかは新しくなって何事も全て一瞬にして変ることなんてあるのかな、と思ってしまう。
新しくなる、ということは一瞬にして起きているのだろうか。見た目は瞬時に変ったと感じることがあっても、その奥底にある内実はじっくりと時間をかけて変わっていくものではないか。変化とは、ある一定の「期間」をもって評価すべきものだと思う。
その意味で、変化し新しくなったその時にあるのは「混乱」である。「変化」や「一新」に、戸惑いや行きつ戻りつの錯綜があるのは当然だ。
僕なんか、浮かんでくる漢字は「新」よりも「乱」だけどな。そして、この「乱」こそ変化の証(あかし)。
乱れっぱなしなどはあり得ない、必ず物事は一定の方向に収束する。混沌はその事象に対する人の心の様(さま)である。人の心は、千路に乱れ移ろいながらもやがて落ち着きを取り戻す。
そして一方、長い時間で眺めれば、常に変化が起き動いているのが世の中。多少の触れ幅の大きさで右往左往すべきものではない。変化の時だからこそ、新しい時代を迎える時だからこそ、「乱」を恐れるべきではない。
受け入れなければならない。
そう思って、新聞を開くとかの閣僚のお一方も今年の一字に「乱」を上げていた。
やべぇ...。
「新」は「乱」