酒販と酒造
地元で酒販組合と酒造組合の会合に相次いで出席した。酒販とはいわゆる「酒屋さん」。酒造は文字通り「造り酒屋さん」。
もともと奈良は清酒発祥の地でもある。
伊丹市も同様の主張をしているが由来は戦国時代の天正6年(1578年)。一方、奈良市の菩提山(ぼだいせん)町にある正暦寺(しょうりゃくじ)は当地の菩提仙川の清流と「菩提もと」と言われる酒母によって「菩提泉」という銘酒を造ったとされるが、このことは1435年(永享7)~1493年(明応2)に四代将軍義持が鹿院内に建てた蔭涼軒(おんりょうけん)を管理する歴代の軒主が書いた日記「蔭涼軒日録」にも記されている。
だから、奈良の酒はうまい、と誇りに思っているのだが残念ながらあまり奈良の酒は知られていない。
そこへ来て、ここのところの飲酒抑制風潮と飲酒規制の波。もちろん飲酒運転は厳罰をもって取り締まらねばならないし、また青少年の身体・精神への飲酒の影響も十分考慮しなければいけないが、酒販・酒造産業を取り巻く環境がどうも歪んでいるように思えてならないのである。
そもそも、酒にまつわる法整備の基本は「酒税」である。だから、酒の産業界も「税の保全」が重要な目的となっている。酒販組合も税務署単位で設置され、所管は国税庁となる。
確かに税は重要であるが、酒類の製造や販売が「税の保全」を大上段に構えることが業界の健全な育成発展につながるんだろうか?。
確かにアルコールの致酔性(飲むと酔う性質)、慢性影響による臓器障害、発育途上にある未成年者の心身に対しての悪影響、酒税が課されていること等の特性があるため、酒類を取り扱う業者には様々な社会的要請に関する取組が求められる。
ならばむしろ厚生部門や文教部門の観点からのあり方が求められるのではないか。
アメリカをはじめとする諸外国でのアルコール規制はそもそも「健康・安全」や「節酒の促進」、「道徳秩序維持」あるいは「違法販売阻止」などが規制の主な目的にあげられている。しかし、わが国は「税の保全」。
自ずと業界が消費者に目を向けることから離れてしまいやすい環境がある。酒販業の設置基準も緩和され続け、今日においては量販店やコンビニの台頭で大きく酒販業界が揺れている。需要調整要件が特に定められていないのはイギリスやフランスも同様だがどうも日本の場合は独禁法違反に近い状況も見られ、野放しに近い。
業界が、国税庁の「税を守れ!」の掛け声に従ってきたらいつの間にかジリ貧になっていた、というのが実態ではないか。
もともと商売人である僕だけに、今の小売のあり方にもいろいろ想いはあるが、まずはこの国税主管というのは問題があるように思えてならない。
酒好きなだけに、おいしいお酒を造り流通させる皆さんと、ここはひとつ新たな法体系を考えてみたい。