秘密法案の問題の起点
安倍政権の特定秘密保護法案を巡る強引な審議の進め方の異様さと、さらにこの月曜日に安倍総理が「私自身がもっと丁寧に時間をとって説明すべきだったと反省している」と3日前に強行採決しながらも語る異様さなど、この法律に関する与党の対応はちぐはぐを極めている。
もちろん、民主党も後手に回った対応など批判もあるところだろうが、そもそも何故、与野党がかみ合わない対応になったのか。
2006年、自民党総裁選挙に出馬した安倍候補は「美しい国、日本」をキャッチフレーズに総裁選を戦った。当時の安倍候補の政見では「主張する外交で強い日本、頼れる日本」を掲げて「官邸における外交・安全保障の司令塔機能を再編し強化する」として、「情報収集機能の強化」を掲げた。すなわち「情報収集強化」は総裁選の公約であった。
そして2006年の第一次安倍内閣では「情報機能強化検討会」が設置されその狙いについても「私は公約で、情報収集機能強化を約束した。国民の生命、身体、財産を守るために必要だ」と7年前の12月25日に語っている。
安倍総理にしてみれば、第一次内閣時代から官邸の情報収集機能強化は悲願であったわけだ。当然ながら、情報収集機能を高めようとした場合にはその情報提供先とは緊密な関係の下、保秘が求められる。当時の内閣の発想であれば、二国間あるいは二者間で情報を共有するからには徹底した情報保全を前提とすると考えているのは至極当然だと考えられていたのだろう。従って、第三者機関に情報を明らかにするなど、問題外。収集機能の強化の発想には全くなじまないものと考えるのも容易に想像できる。
そして、国家公務員の守秘義務規定の罰則が甘いというのも、情報収集機能を強化しようとする側にとっては不都合だったのだろう。
こうした状況の下、第一次安倍政権は一年で瓦解し変わっての福田政権で引き続き秘密保全法制の在り方に関する検討チームが設置され、さらに続く麻生内閣でも情報保全の在り方に関する有識者会議が設置され、自民党内では官邸の情報収集機能強化の観点からの議論が続いていたのである。
このように、この法案そのものの基本的な考え方は総裁選出馬時代からの公約として情報収集機能強化を問題の起点とし安倍総理が訴えてきたことでもあった。
しかし、2009年政権交代により民主党政権が誕生した。
民主党政権では、自民党時代の第一次安倍内閣から通奏低音のように流れる官邸の情報機能強化の方向性は、いったんとどまることになる。公開性・透明性・公正性などのオープンガバメントを掲げる民主党の理念からみれば、いくら政権に就いたとはいえ自民党時代の秘密保全の考え方には違和感があったのはいうまでもない。鳩山政権においてはいったん検討が立ち消えるのである。
しかし、2010年、事件が起こる。
尖閣諸島沖での中国漁船と海上保安庁巡視艇のよなくに、みずきとの衝突事件だ。そして船長は逮捕され証拠として提出されたビデオが11月4日に現職の海上保安官によってユーチューブ上に投稿された。尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件である。
海上保安庁を所管する国交大臣として僕は情報漏えいの責任を問われることになった。最終的には11月27日未明に参院で国交大臣に対して問責決議が可決される。政治的責任を負うことはとうに覚悟していたが、高度通信ネットワーク社会の進展に伴う情報漏えいの危険性が増大していることが顕在化したこと、加えて国家公務員の情報漏えいによって生じる国家の損失とはどういうものなのか、言い換えれば守るべき国益のための国家機密とはいったい何をもって定義するのか、あいまいな状況について改めて行政の執行の継続性を担保するためにも検討が必要だと感じた。
そして僕は当事者の国交大臣として官邸に検討を申し入れた。同じく問責決議を受けた仙谷官房長官と相談し、12月9日、政府における情報保全に関する検討委員会を官邸に設置することになった。
つまり、民主党政権において、情報保全法の検討の問題の起点にいたのは僕自身だ。
それは、官邸の情報収集機能の強化ではなく、守るべき国家の秘密とは何か、そしてそれをどのようにオープンガバメントの理念の下に構築できるかの課題の提示でもあった。
その後は、民主党政権で情報公開と併せて国民の知る権利や報道取材の自由等を十分に尊重していくなどの「秘密保全に関する法制の整備について」が2011年10月7日に野田内閣で決定された。そして、今回の法案審議ではまさに国家機密については、特定秘密などというあいまいなものでない特別安全保障秘密として規定し更に第三者機関としてその判断を行う情報適正管理委員会の設置を民主案として提示している。
何でもかんでも情報をかき集めるかわりに誰にも知らせませんよ、という考えと、守るべき秘密は限られるしやはり恣意的にしてはなりませんよ、という考えが真正面からぶつかって平行線となるのは当然とも言える。
だから、この問題はオープンガバメントという発想なのか否かが問われたものである。そして、結果は当然ながら安倍政権は、まったくそうでなく、さらにそうでない方向に突き進むことが明らかとなった。
みんなの党の分裂により、維新との合流もささやかれる中、民主党は野党第一党すら維持が困難になるかもしれない中、ひたすら耐え、このような状況を覆すための地道な作業を淡々と重ねるしかない。