夜中のお水取り

2007年3月14日 (水) ─

 久しぶりに「お水取り」に行く。

 東大寺のお水取りは、修二会(しゅにえ)と呼ばれる修行の一つだが、観光的には二月堂に大松明(おおたいまつ)を持って駆け上がる場面が有名だ。

 しかし、その真髄は二月堂の中に入ってからの練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる11人の僧侶の修行にある。ヒロコと夜も11時を過ぎてから、厚着して何の準備もなく行った。招待券も何もないのでお堂の内陣ではなく外陣からの見学だった。

 やっぱりイイなぁ。心が洗われる。

 浪人中は、毎年「リボン」と呼ばれる内陣への招待券を何とかお願いして手に入れて、内陣からの見学を最終の14日まで通ったものだった。修二会フリークと自負していたのだが、現職議員となって三年、この間はさすがに深夜に及ぶお堂での見学はできずにいた。

 今回は、ふと行こうということになって夜中に二月堂へと走ったのだが、例年と違って暖かい。寒さに凍える、というのが修二会のイメージなのだが、なんだか違和感がある。

 それでも、外陣から息を潜めて堂内に目を凝らす。灯明の中、帳(とばり)には練行衆の影がゆらめき、声明(しょうみょう)が響く。幽玄の世界。走り、五体投地と行が進み、深夜に終わる。

 帰りにお堂の下で大松明の燃え滓を拾う。これが、一年の家内安全、無病息災のお守りになると言われている。

 しかし真っ暗闇の中、炭化した燃え滓を探すのは一苦労。ヒロコから「お父さん危ないわよ!」と注意されながらも、湿った斜面を何度も滑ってコケる。ドロドロになりながら、携帯電話のカメラの明かりを頼りに、やっと5センチほどの真っ黒になった松の小枝のひとかけら見つけた。そーっとハンカチに包んで、大事にポケットにしまう。

 真夜中に、とっても得した気分になって、空を見上げると雨も上がり、薄ら雲が動いているのが見える。

 確か今月は19日が新月だ。下弦の月でも見えるかナ、と目を凝らしてみるがやはり曇って見えない。しかし、古都の漆黒のような夜空は、静けさをたたえながら心の安寧を誘ってくれる。

 むこうの闇から、「早くぅ!、行くわよぉ!」とカン高い声が飛んでくる。

 わかった、わかった。でも、もう少しだけ、この空気を吸わせてくれ。

夜中のお水取り