第908号 教育格差をなくす!
大学入試をめぐり、政府の対応が迷走を続けています。私は、教育が注目を集める今、単に入試の問題にとどまらせることなく、教育が抱える「格差」の問題にまで踏み込んだ議論が必要だと考えています。
◆利権と不公平にまみれた改悪
政府が進めてきた大学入試変更は、複数の民間業者による英語検定を導入し、国語、数学で記述式問題を出題して、民間業者に採点を請け負わせるもので、いわば、入試の民間業者への委託と言えます。そこには、議員や官庁とつながりを持つ業者の受注による、新たな「教育利権」の存在が指摘されており、受験機会や採点による受験生間の公平性を考えても、導入すべき理由は全くありません。
英語民間検定導入は延期されましたが、14日には、野党共同会派を中心として、記述式問題導入の中止法案を議員立法として提出しました。入試対策を進めなければならない受験生のためにも、早急に中止を実現させます。
◆格差を容認する安倍政権
この問題は、単に入試にとどまりません。私は、今回の入試変革問題には、教育格差に対する政府の本音が現れていると見ています。萩生田文部科学大臣の「身の丈に合わせて頑張ってもらえば」という趣旨の発言は、つまり、家庭環境で生じる教育格差の存在を認めた上で、富裕層にはどんどん教育にお金をつぎこんでもらうことを奨励し、余裕の無い家庭の子どもは「それなり」で良いという、格差を容認する姿勢を示しています。これは、労働者間の格差や、都市と地方の格差を容認し、放置してきた、安倍政権の体質そのものと言えます。
教育格差は、親と子の間で貧困の連鎖につながります。そして、充実した教育が受けられる機関は都市部に偏り、地方から人材が流出することで、ますます地方が衰退するという悪循環が続きます。これらの教育格差の是正こそが、今の教育行政に求められていると考えています。
◆格差解消を考える勉強会発足
こうした格差が広がる現状に対し、私は、「格差解消と消費税を考える会」の呼びかけ人の1人となり、先日、野党有志から成る勉強会を発足させました。残念ながら私は交通事故による負傷で参加できませんでしたが、6日の初回勉強会には元文部科学省事務次官の前川喜平氏を講師に招き、広がる教育格差の現状や、富裕層が孫などへ教育資金を贈与することで非課税となる制度が不公平ではないか、などの議論が交わされたと報告を受けています。
社会の力、国の力は教育が土台となります。そして、両親や祖父母の資産による教育格差が広がり、固定化すると、社会の流動性が無くなり活気が失われます。将来的に人口減少が確実な現状では、一人ひとりの子どもに大胆に教育費をかけて、高度な人材を育成することで、未来を切り開いていくしかないと考えています。財源の問題はありますが、一つの案として教育国債の発行など、財政規律に囚われない大胆な投資が必要です。私も一刻も早く怪我を完治させ、格差解消を考える勉強会での議論をリードしていきたいと考えています。
スタッフ日記 「たぬきと信楽焼」
現在放送中の朝の連続テレビ小説の舞台は、滋賀県甲賀市信楽(しがらき)町で、私の実家の近くになります。
信楽と言えば信楽焼。その信楽焼と言えば“たぬきの置物”ということで、関西周辺はおろか全国的にも広がっており、私が今住んでいる東京でも、店の玄関にたぬきが鎮座しているのをよく見かけます。
たぬきは漢字で「狸」と書きますが、その字の通り、里に住む獣として古くから日本人にとっては身近な動物でした。一昔前までは、信楽のような山里では、普通に里のそこかしこをたぬきが悠々と歩いていたことでしょう。
たぬきの置物がいつ頃から作られるようになったかは、今一つはっきりしないようですが、犬のように家畜化されずにどこか神秘的で、それでいて人のそばで生きる愛らしいたぬきの姿が、大衆民芸品としての焼物のモデルとなっていったのではないかと思います。
どこか間の抜けた顔をしている信楽焼のたぬきですが、実際のたぬきは非常に賢いらしく、だからこそ「たぬきおやじ」や「古だぬき」、「たぬき寝入り」といった、ずる賢いイメージを持った「たぬき言葉」が生まれていったのだと思います。その他にも、たぬきを祀る神社や、たぬきに化かされる民話などは日本のあちこちに存在します。
人間とたぬきとの共存は、日本の原風景にある、日本文化そのものだったのかもしれません。今では都市化が進み、人がたぬきと触れ合うこともめっきり少なくなりました。たぬきがひょっこり現れるような山里を、いつまでも維持していきたいものです。(アタリ)