第903号 関電疑惑を質す

2019年10月12日 (土) ─

 10日、私は4年ぶりに予算委員会で質疑を行い、関西電力役員の金品授受疑惑に関して、政府と各省庁の姿勢を問い質しました。

◆逃げる関電経営陣と与党
 電力は何より公正さが求められる公共インフラで、とりわけ原子力発電は、福島第一原発事故の反省に立ち、再稼働のために厳正な審査と国民の信頼回復が必要とされてきました。

 それにもかかわらず、関西電力の経営陣が、原子力事業の推進に影響力を持つとされる福井県高浜町の元助役、森山栄治氏から、多額の金品を受け取っていた癒着の発覚は、原子力発電の持つべき公正性への国民の信頼を失わせるものでした。

 私は、エネルギー政策に取り組んできた国会議員として、原子力事業、ひいては原子力政策の根幹を揺るがしかねないこの事案について、徹底的に事実を明らかにしなければならないとの思いで臨みました。

 しかし、参考人として予算委員会に出席を要請した関電経営陣は、与党が不要だとして、出席を認めなかった為、肝心の関電経営陣不在のまま、政府と各省庁の見解を問い質すため、質疑に臨みました。

◆際立つ省庁の消極性
 今回の疑惑で、責任が重いのが経済産業省です。電力事業の監督官庁として、疑惑発覚まで一切の事態を把握しておらず、発覚後も、立ち入り検査を行う権限を持ちながら、調査は関電任せの姿勢を貫いてきました。

 関電は、調査のための第三者委員会を立ち上げ、委員を選任しましたが、金品を受け取っていた経営陣自らが選んだ委員長によって推薦された委員で構成されており、経産省もそれを良しとしています。これでは、委員会の第三者性、公正性に疑義が生じるばかりか、経産省も一体となって事態の収束を急ごうとしていると思われても仕方がありません。質疑では、この経産省の関電に対する甘い姿勢を厳しく質しました。

 また、関電は5年前、送電線工事の受発注に関し、受注調整に関与していたとして、公正取引委員会から改善の申し入れを受け、再発防止策を公表していたことも指摘しました。再発防止を約束しておきながら、今回、原発関連の工事を、森山氏の関連企業に集中させていたのならば、5年前と構図は同じになります。経営体質が何ら変わっていない関電に対して経産省や公取委は、厳しく臨まなければならないはずです。

◆更なる事態解明へ
 各省庁に、関電に対し厳しい姿勢で臨むべきであることを要請した後に、原発再稼働の審査を行う原子力規制委員会委員長に対しては、国民の原発への信頼を得るためには、単なる技術的な安全性だけではなく、企業のコンプライアンスを考慮要素として重視するなど、再稼働に対する厳しい基準の再設定が必要ではないかと提案しました。

 そして最後に、今回の疑惑は政府の進めてきた原発政策の信頼性の根幹に関わる問題だとの認識はあるかと、安倍総理にも質しました。総理は事態を重く受け止めている旨の答弁をされましたが、具体的な対応策は示さず、消極的と言わざるを得ない姿勢と受け取りました。

 関電疑惑の追及は始まったばかりです。原子力発電を含め、電力事業そのものに対する国民の信頼を回復させるためにも、事態の解明新しい制度の提案を続けて参ります。

 

スタッフ日記 「馬淵澄夫はじめました」

 国会周りではまだまだ「紙の文化」が幅を利かせているため、字を書く仕事というのがたくさんあり、出欠票、お礼状、飛行機や新幹線のチケット手配、各種調査など、バラエティーに富んだ「書き仕事」が日々発生しては消えてゆきます。

 もちろん、きれいな字の方が相手に丁寧な印象を持って頂けることは言うまでもありません。

 幸い、ボールペンや万年筆などについては、そこそこ書けているとは思うのですが、筆先の柔らかい筆ペンとなると話は別で、力の加減がわからず四苦八苦しています。

 とりわけ、筆を必要とする場面はご祝儀袋や香典袋など「キチンとした」場面が多く、台紙の枚数の関係上失敗できる回数も限られるので緊張します。

 これまでは迫りくる緊迫感と戦いながらどうにか書いてきたのですが、さすがにこのままではイカンと思い、毎日練習をすることにしました。

 とりあえずは「馬淵澄夫」が上手に書ければよい、ということで現在1日に最低1回、コピーの裏紙にひたすら「馬淵澄夫」と書き続けています。

 何よりも「淵」の難しさがクセモノです。力を入れると潰れ、油断をするとバランス狂ってしまう。克服するために、紙一面に「淵淵淵淵…」と書き続けたら、しまいには書いているのが字なのか、記号なのか、迷路なのかわからなくなってきました。

 まだまだ筆ペン初心者ですが、とりあえず「馬淵澄夫」はじめました。書き終わった裏紙は怪談「耳なし芳一」を彷彿とさせます。いつの日か美しく書ける日が来るでしょうか。(シズ)

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