第475号 政治主導の軌跡
国交省も新たな大臣を迎えて始動いたしました。今回は元副大臣、前大臣として、1年4ヶの間に行った政治主導についての軌跡をお伝えしたいと思います。
政治主導で大事だったのは大臣就任直後、まさに初動における2つの重要な人事、「秘書官の指名」と「政策審議室の設置による政策官の指名」でした。
◆秘書官人事
大臣秘書官は、大臣就任と同時に大臣官房がその履歴書とともに推薦(国交省の場合は旧建設省系と旧運輸省系の事務官を各1名)してくるのですが、私は官房が準備した秘書官ではなく、心から信頼していた副大臣時代の秘書官を大臣秘書官に据えると宣言しました。
大臣秘書官と副大臣秘書官とは年次(会社でいうところの入社年数)に差があり、若い大臣秘書官の誕生は役所の年功序列の秩序を乱すこととなるので、官房からは必死の説得が続きました。しかし、大臣の意思で物事を判断することが最も重要、ということで私は一切構わずにその人事を押し通し、一方で旧運輸省系の秘書官に関しては副大臣時代からその働きぶりを知る優秀な若い官僚を自ら指名しました。
◆政策審議室
政策審議室の設置は私の野党時代からの構想でした。大臣が官僚の言いなりにならず、自らの判断を行うためのスタッフの強化は政治主導において必須です。例えばある事柄について検討を指示しても、上がってくる検討事項が、A「誰が見ても認められないもの」・B「中程度のもの」・C「理想論すぎるもの」の3種類だったら自ずとB案に落ち着きます。このB案が官僚の考える落としどころの場合、大臣に選択の余地はなくなってしまいます。このような事態を防ぐために、大臣周りにいわゆる「経営企画室」的な組織を持たないといけない、それも、出来るだけ自前で人員を揃えられるようにしなければならないという問題意識がありました。
訓令によって政策審議室の室長は大臣自らとし、役所の課長級職の前の若手10名を政務三役あるいは大臣自らが一本釣りで登用して政策官としました。彼らには原局原課からの政策チェックや大臣指示を的確に行う政策担当秘書官役を委ねました。また、審議室は大臣室の隣の部屋に置き、ドアから常時直接出入りして話が出来るようにしました。
こうした機能強化は、短い間でしたが手ごたえ十分でした。
八ツ場ダム問題の対応、高速道路無料化の最終形と財源問題の検討や料金制度の整理、道路問題、オープンスカイ戦略、JAL問題といった国民的関心の高いテーマ対応をはじめ、社会資本整備重点計画、交通基本法、建設産業市場の再構築、不動産市場の活性化の検討、投資市場のグランドデザイン再構築、建築基準法の見直しと同時に建築基本法の議論、観光産業の活性化のための休暇分散化の現実的な対応、温暖化対策の定量把握のための検討、建設・運輸の公共事業の基本となる将来交通需要推計の統合と事業評価の見直しの完遂、など政策審議室におけるサバキのマターは多岐に渡りました。(了)
スタッフ日記「「ありがとう」 そして前へ」
昨年のNHK朝ドラマ「ゲゲゲの女房」の主題歌「ありがとう」がヒットしました。
私は、この曲を聞くと、代議士が歩んできたこの10年の想いが溢れてきます。浪人時代、まぶちすみおを一人でも多くの人に知ってもらうために、ご夫婦二人で奈良の町を歩いた日々。今とは違うでこぼこ道を乗り越えてきた10年です。
1月14日、代議士は国土交通大臣を退任いたしました。退任後、国交省で一緒に仕事をしていた仲間、地方に視察や応援に行った時に出会った方、全国からご支援いただいている皆さま、そして、地元奈良の多くの方々からご心配や励ましの声を沢山お寄せ頂きました。頂いたメッセージの全てに、温かい想いが詰まっており、本当に多くの方々にお力を頂き支えてもらっていたんだと感じました。改めて、出会ったお一人おひとりに「ありがとう」と伝えたいと思います。
私は、代議士に少し身体と心を休めてほしいと思っていたのですが、地元の皆さんにすぐにでも話す機会を作って欲しいとの代議士の希望で、1月23日に早速シビックミーティングを開催することになりました。急なご案内にもかかわらず沢山の方が会場に来てくださいました。そして、いつもより熱気に満ちたシビックミーティングとなりました。
もう代議士は前を見て歩み始めています。ターミネーターの続編をお届けできる日もそう遠くないかもしれませんね。(エバ)