第484号 原発事故対応

2011年4月16日 (土) ─

 3月26日、大阪での講演に備え地元に戻っていましたが、突然総理から呼び出しの連絡を受け急遽上京。まずは、そのまま経済産業省へ入れとの指示。いきなり事情も承知しないまま会議へ参加となりました。そして、今度は官邸へ。総理より総理大臣補佐官、「東北地方太平洋沖地震による災害及び原子力発電所事故の対応を担当させる」との辞令を受け取りました。それまでにご依頼頂いていた選挙応援、講演等の予定は全て白紙となってしまい、補佐官任務に集中することになりました。

 就任から今日までの三週間、状況把握と対処の方法検討、さらには体制の整備・構築とできる限りの「補佐業務」を行ってきました。発災後二週間、落ち着きを見せることのできない原発事故対応に緊急招集された形での補佐官就任でありますが、実際、朝から晩まで原発対応に終始した日々でした。

◆対策の2つの機関
 政府によって立ち上げられた「原子力災害対策本部」は原子力災害対策特別措置法16条に基づき設置されたものです。そして、もう一つ設置された機関「福島原子力発電所事故対策統合本部」は東電と政府による任意の組織です。統合本部の本部長は菅総理、そして副本部長に海江田大臣、清水東電社長が就いており、補佐官就任と同時にその統合本部に組み込まれることになりました。

 突然加わった第三者的な目から見れば、統合本部は目前の発災後の対応に追われざるをえない状況であり、総合的な視野を加える必要があるようにうかがえました。そこでまずは位置づけをはっきりさせるべく、統合本部の在り方を明確にし、さらに権限と責任の分担をより明らかにし、事態対処に追われがちな組織からの脱却を図りました。このようにして、経緯とその状況把握、目前の対策検討に追われながら統合本部の体制整備を行ったのです。 

 東電側の副本部長は清水社長に代わり勝俣会長が就き、さらに統合本部に事務局長を新設し、発災直後から東電に張り付いていた細野総理大臣補佐官、西澤東電常務が就くことになりました。

◆6つの特別プロジェクト
 そして、この統合本部に、(1)放射線遮へい/放射性物質放出低減対策チーム、(2)放射線燃料取り出し・移送チーム、(3)リモートコントロール化チーム、(4)長期冷却構築チーム、(5)放射性滞留水の回収・処理チーム、(6)環境影響評価チームの六つの特別プロジェクトを設置し、その総括リーダーに細野補佐官が就きました。

 私は、この中の(1)放射線遮へい/放射性物質放出低減対策チームに入り、東電側代表者と共に共同リーダーとなりました。これまで、統合本部に欠けていた中長期的な視野に立った対策を講じることに取りみ、いまだ、不安定な状態を完全に脱し得ない状況ではありますが、一日でも早く、安心を取り戻すために全力を尽くしてまいります。(了)    

 

スタッフ日記「違うけれど同じ日常」
 東北地方太平洋沖地震が起きたとき、東京でも震度5強の揺れが観測されました。報道で皆さんご存知のことと思いますが、その瞬間から都内の交通は鉄道、バス等交通機関はすべてストップ、携帯電話だけでなく、固定電話も止まってしまい復旧の目途も分かりません。事務所のスタッフも家に帰れず議員会館で一晩を過ごすことになりました。19時頃、晩御飯の買出しにと一歩会館から出てみると、行き先もなくオフィス街の路上に溢れる人ひとヒト、周辺の持ち帰り可能な牛丼店、カレー店は売り切れか長蛇の列、コンビニの棚にも食品関係は何も無い、初めての光景に圧倒されました。

 それから1カ月が経ち、物資不足や計画停電といった事態も落ち着いてきましたが、お花見や夏の花火大会の中止決定といった「自粛ムード」が続いています。被災された方達と寄り添おうとする気持ちは大事なことですが、個人的には自粛することが震災の復興に役にたつのかと考えると疑問に思うことが多々ありました。自粛の為、我慢しなくていいところまで我慢してお金が回らなくなり、結果としてマイナスの効果の方が大きくなってしまうのではないだろうかと。家族、親戚等、今回の地震で身近に被害に遭った者がいないから言えることかもしれませんが、ボランティア等で直接関われなくても、笑顔でいられる人が笑顔で、元気でいられる人が元気で、普通にいつも通りの生活を過ごすことも復興の一助になるのではないでしょうか。(SCハマー)

第484号 原発事故対応