駄文の垂れ流し

2006年5月19日 (金) ─

 言葉を発することの意味とそこに乗せる心の内を、日々、一生懸命考えている(つもり!)。

 自分は、この言葉を発することにより、何を伝えようとしているのか?!、を。

 それは、音声で口から発することもあればこうして文字にしてさまざまな媒体に乗せて発することもある。

 自らののどを震わせての発信と、神経を指先に集中して書き綴るのとは、微妙に違うこともある。

 この微妙な違いを、わかっていると自覚しているにも関わらず、時に混同した発信の仕方をして、聞いたり読んだりする側を混乱させてしまうこともある。

 そんな時、あー、つたないなぁー!、と落ち込む。

 今日、別に落ち込んでいるわけでもなんでもなく、むしろ絶好調は今も続いている!、と思っているのだが、実はこうした自身の心の機微を理解してくれている友が、突然訊ねて来てくれた。

 そして、このつたない発信文章について言う。

「まぶっちゃん、あの時、何か苦しがってたよねぇ、行間がせわしなかったもんね!。」
「つい、元気出そうと思って無理に跳ねてたねぇ、言葉が。」

などと、やさしく語りかけてくれる。恐ろしいほどに読みきってくれている。

 こんな読者がいるから、私は骨身を削ってでもこの媒体を使って、生(なま)の政治家の「息遣い」を伝えたい!、と思うのだ。

 とにかく、駄文の垂れ流しのようなこの日記について、多くのご意見をいただくのだが、是非、ご理解をいただきたい。

 人間まぶちすみおの、信じる価値観を訴える魂のほとばしりや、時には自信を失ったものの嘆きとして、そのすべてをあからさまにしていく。

 成長している瞬間もあれば、立ち止まり後退している時もあるかもしれない。

 そんなすべてを見て、稚拙ながらも一生懸命伝えたいことがあることを感じていただければ、と心から願う。

駄文の垂れ流し