議論における反論のあり方

2014年6月26日 (木) ─

 都議会で、質問に立った女性都議が、「早く結婚した方がいい」などのヤジを浴びた問題が、国内外で波紋を広げている。様々なコメントがネット上を駆け巡っているので、どうしたものかとも思ったが、一点、「議論における反論のあり方」という観点を述べておきたい。

◆ヤジをめぐる経緯
 ヤジを浴びたのは、みんなの党会派の塩村文夏都議で、18日の東京都議会の本会議で出産や不妊に悩む女性への都の支援体制について質問をしている際に、自民都議が座る一角から「早く結婚した方がいい」などのヤジが相次いだとされている。

 同日夜、塩村氏がツイッターに投稿したところ、リツイートが3万件近くに達するなど波紋が広がり、また、多くの欧米メディアも、2020年東京五輪開催と絡め、この問題を批判的に取り上げた。

 そのような中、23日、自民会派で政務調査会長代行を務めていた鈴木章浩都議が、ヤジの一部を認め謝罪。しかし、発言者が他にもいると指摘されているにもかかわらず、都議会自民党は、幕引きを急ぎ、民主党・みんなの党提出の発言者特定を求める決議案を否決し、信頼回復と再発防止に努める決議案のみを可決。25日に都議会は閉会した。

◆問題の本質は議論のあり方
 メディアは、議会の品位や、人権侵害の問題として取り上げているが、今回の件はそれらにとどまらず、問題の本質は、「言論の府」たる議会における、「議論のあり方」であると考える。

 少しややこしい説明になるがお許しいただきたい。

 例えば、Aという人が、ある主張を行った時、それに反論する方法としては、(1)主張そのものに対する反論を述べる、又は(2)そもそもAが、その主張をおこなう「適格性」がないと反論する、の2つの方法が考えられる。

 この場合、反論する側として容易なのは、(2)の方法だ。特に、人種、性別などの、本人の意思では変えられない属性に着目して攻撃した場合、Aが行う主張全てが弱められるため、Aとしては、再反論を行うことさえ難しくなる。さらに、(2)の方法は、多数派が少数派を攻撃する際には特に有効な手段と成りえる。

 例を挙げれば、ある国のある議会で、少数派民族出身の議員Aが公立病院の建替えを主張したとする。その主張に対して、多数派民族出身の議員Bが、建て替えの必要性がないとして反論するのが(1)の方法。少数派民族はいつも感情論で物事を判断するためAの言うことは説得力に欠けるとして反論するのが(2)の方法だ。

 (2)の方法がフェアでないところは、Aの少数派民族という属性、さらには、「少数派民族=感情論で考える」とレッテル張りをして攻撃することで、Aの「少数派民族がいつも感情論で物事を判断するという主張には根拠がない」という再反論についてさえ、説得力を弱めることになるという点だ。

 今回のヤジは、既婚者でないことをもって、塩村氏の、都の妊娠・出産の支援体制について問題提起する「適格性」について疑義を呈したとの見方もできる。これは、上記(2)にあたり、塩村氏の主張の中身についての議論を閉ざすものだ。

 言うまでもなく、言論の府である議会は、何よりも言論を大切にしなければならない場所だ。それは国会であろうと地方議会であろうと変わらない。それゆえ、議員は、互いの主義や立場の違いを認めつつ、主張同士を正々堂々とぶつけ合う方法、すなわち、上記(2)ではなく(1)の方法で議論を行うべきだ。

 今回のヤジ問題の本質は、まさにこの点にある。

 欧米の議会で、議員が差別的な発言をおこなった場合、その議員は、議員としての地位だけでなく、政治的なキャリアも失うとされる。その理由は、上記のような議会における議論の流儀・哲学を理解していないと見なされることも理由の一つではないか。

 定数127の都議会において59の議席を握る自民党が、数名の少数会派の質問に対して、上記(2)の方法で臨み、議論を潰すことは容易だ。しかし、今回、全国最低の合計特殊出生率1.13の首都東京の議会における、出産支援策についての議論は深まらないままとなってしまった。

 事実と根拠に基づき論陣を張り、政策の議論を徹底的に行う、議会は本来そのような政策論議の場所だ。

 今回の問題は、議会、そして議会人のあり方、そして「議論のあり方」について根本的な問いを投げかけている。

議論における反論のあり方