第698号 新国立問題から学ぶこと

2015年8月1日 (土) ─

 17日、政府は建設費用が2500億円以上に上ることが問題視されていた新国立競技場建設計画を白紙に戻し、検討し直すことを発表しました。

◆迷走した「建設費」問題
 新国立競技場は、2012年7月に総工費1300億円を条件にしてデザインの公募を行い、11月にザハ・ハディド氏のデザインが採用されました。ところが、2013年9月に東京オリンピックの開催が決まった直後の10月に、新国立競技場の運営主体である日本スポーツ振興センターが総工費3000億円との試算を公表、15年春には施工業者が3000億円超の見積書を提出し、下村文部科学大臣が東京都に対し約500億円の費用負担を要請する事態に発展しました。その後、6月には総工費を約2500億円とする見直し案が出ましたが、当初の想定を大幅に超えた建設費用に国民の批判は強く、安倍総理が計画の白紙撤回を表明する事態となりました。一方で、既に契約済みの59億円はそのほとんどが戻ってこない見込みです。

◆責任の所在はどこに?
 建設費用が巨額に膨れ上がったことについては、そのプロセスばかりか、その責任の所在も不明瞭です。安倍総理が「誰に責任があるとか、そもそも論を申し上げるつもりはない」と述べる一方で、東京オリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相は「大変迷惑している」と述べ、下村文科大臣にいたっては自ら「一貫して明確な責任者がどこなのか、よくわからないまま来てしまった」と述べており、これほど大きな事業であるのに、誰に責任があるのかもあいまいなまま計画が進められてきたのは明らかです。

◆行政改革への問題提起
 今回の問題は、行政が明確な責任主体を持たず、歯止めなきまま、なし崩し的に巨大事業が暴走してしまった典型例です。これは、耐震偽装問題、高速道路問題、そして原発事故等と共通する構図で、私がこれまでの政治活動の中で繰り返し指摘してきた「無責任の連鎖」や「際限なき裁量行政」の問題の表れと言えます。

 責任の主体や、行政の裁量がどこまで許容されるのかという議論が不足したままの計画を見切り発車させれば、いつの間にか事態は悪化し、ついには引き返すことができなくなってしまいます。

 これは、現在審議中の安保法制にも通じます。法律適用の要件をあいまいにし、十分な歯止めを検討しないままに行政の広範な裁量を自衛権の行使に認めてしまえば、時の政府の裁量によって歯止めの効かない海外派兵が行われる事態ともなりかねません。

 先日、文科省の担当局長の辞職が発表されました。事実上、今回の白紙撤回に伴う更迭と見られますが、事務方に責任を押し付けるだけでは、「トカゲの尻尾切り」に過ぎず、根本的な解決にはつながりません。行政プロセスの情報公開(オープン・ガバメントの確立)や、行政裁量の限界設定、責任の所在をはっきりさせる仕組みの構築など、総合的な行政改革を進める必要があります。

 今回の問題を個人の責任で終わらせることなく、徹底的に検証・追及するとともに、その教訓をもとに今後の行政改革に取り組んで参ります。(了)

 

スタッフ日記「盆踊り」
 みなさんは盆踊りを踊れますか?奈良でも週末は各地で夏祭りが行われており、広場でやぐらを立てて地域の方々が思い思いに踊りの輪に入る、そんな様子が見られます。

 とは言ったものの、私が幼少期から行っていたお祭りには盆踊りがなく、これまで踊る機会がなく今に至りました。

 しかし、つい先日初踊りを経験しました。先生が、子供たちに踊り方を教えている後ろで、様子を伺いながら恐る恐るステップを踏んでみる、その姿は傍から見ると怪しかったと思いますが、曲が変わるごとにそれを繰り返し、踊れそうなものは輪に入って踊りました。

 輪の中では老若男女が一緒になって同じ踊りをし、それぞれ声を掛け合いながら楽しんでいました。こんなに楽しいものをなぜ今まで知らなかったのかと少し後悔しました。

 全国には500以上の伝統的な盆踊りが残っており、最近では伝統文化を絶やさないようにポップな曲を入れたり、ゾンビメイクをしてマイケルジャクソンのスリラーに合わせて踊る「スリラー盆踊り」というものまであるそうです。

 スリラー盆踊りは、日本民謡新舞踏協会の方が考案されたようです。芭蕉の弟子で、その俳論をまとめた向井去来の言葉を借りるのなら、普遍的な基礎は押さえつつ、時代の変化に沿った新しさを追い求めないとならない、といったところでしょうか。これは一言でいうなら「不易流行」、つまり馬淵澄夫の座右の銘、世の中思わぬところでリンクしているものです。

 奈良では9月17日に行われる東大寺の十七夜盆踊りが踊り納めになります。それまでに、私もたくさん練習をして何とか参加できるよう画策中です。(お松)

第698号 新国立問題から学ぶこと