第694号 憲法は「押し付け」か

2015年7月4日 (土) ─

 国会では、安保関連法案を巡る攻防が山場を迎えています。先日の、参考人として呼ばれた憲法学者3名からの「違憲」発言に代表されるように、安保法制は憲法や改憲の議論と切っても切れないものです。一方、安保法案「合憲」派からは、「押しつけ憲法論」という主張がされることがあります。

◆押しつけ憲法論とは
 ポツダム宣言受託後、日本は憲法改正試案を作成しましたが、保守的であるとして連合国軍総司令部(GHQ)から拒否されました。そこで改めて総司令部側から示された草案に基づき日本側が作成した改正草案が、帝国議会で可決され、公布されたのが日本国憲法です。

 憲法草案が総司令部案を基にしていることや、総司令部案の基本原理の修正は認められなかったことから、日本国憲法は戦勝国のアメリカから不法、不当に押し付けられたものであるというのが「押しつけ憲法論」です。この説は、占領勢力が憲法を改正・制定することは、国際法(ハーグ陸戦法規)に反するということを根拠とすることもあります。さらに、一部にはこれを発展させ、日本国憲法は無効なもので、全面的に作り直すべきという主張をおこなう向きもあります。こうした「押しつけ憲法論」に基づく憲法軽視の考えが、違憲の疑いがあっても強引に審議を推し進めようとする立場の背景にあるのかもしれません。

◆押しつけ憲法論への反論
 このような主張に対し、普通選挙で国民から選出された議員が構成する議会によって憲法改正草案が審議、可決されたこと、日本国憲法の自律性は、ポツダム宣言の受託により条件付きのものであったこと、施行後2年以内に見直しが可能とされていたのに、政府は何も行わなかったこと、交戦中の占領に適用されるハーグ陸戦法規は、当時の日本には適用されないこと、などの理由から、日本国憲法は自律性の原則(憲法は国民の意思に基づき制定されるべきとする原則)には反しないとの反論がなされています。

 また、法理論上の議論を別にしても、70年近くの間、自由主義や平和主義、国際協調主義といった日本の基本的理念は、憲法を基にして掲げられており、国民の大多数の支持の下、憲法が定着してきたという事実があります。少なくとも、日本国憲法がその成立過程を理由に無効であるということは出来ないと考えます。

◆現行憲法を尊重した議論を
 私は、現行憲法は不磨の大典ではなく、社会の状況に応じて見直すことも当然ありうべしと思っています。しかし、改正を議論するにしても、70年近く我が国の社会の根本規範であり続けた現行憲法の理念は出来る限り尊重する必要があります。
 一律に否定するのではなく、今まで培ってきた理念を未来に受け継ぐとともに、時代の要請に合わせ修正していくという形での憲法改正ならば、十分議論に値します。アメリカ合衆国憲法が原文を残したまま修正条項で改正を行ってきたことは、我が国の憲法改正の姿として1つの参考になるものです。乱暴で拙速な憲法改正論に走らず、憲法のあり方について考えていきたいと思います。(了)

 

スタッフ日記「恥ずかしき事」
 もう随分昔の話です。大学受験で東京に行った冬、宿に風呂が無く、仕方なく最寄りの銭湯に行くことにしました。

 寒風の中を歩くと、ようやく1軒の風呂屋さんを見つけました。湯の匂いのする番台で料金を払い、勢いよく服を脱ぎ捨てて湯船に飛び込んだのはいいのですが、タオルひとつ持たず上京していた私には身体を洗うものがありません。

 「困ったな…」、そう思いながら湯船から洗い場を見渡すと、石鹸やシャンプー、そして身体を洗うナイロンタオル等がきちんと入れられた手桶が行儀よく並んでいるではありませんか!

 「はあ!さっき払った料金にはこんなんも入ってるんや!」と勝手に考えた私は、ゆっくり湯につかった後、気に入った洗い場で、置いてあった手桶の石鹸やシャンプーを使い、思いっ切り身体や頭をゴシゴシ洗いました。それからそれらを適当に水でゆすいで手桶に並べ、もう一度湯に浸かりました。

 すると、すれ違いに湯からでてくるおじさんが私の顔を何度もじろじろ見ながらさっきまで私がいた洗い場に行き、私が使った手桶やタオルを丁寧に何度も洗い流しました。そしてやっぱり何度も私を振り返りながら手桶を抱えて出ていくのです。

 湯船の中でぼーっとそれを見ていた私は、しばらくして「あっ」と気が付きました。言うまでもなくその手桶と石鹸等はその方の物だったのです。「悪いことをした」、そう思った時にはもう後の祭りです。

 私は何をやっても人より遅いのに、とかく粗雑に早合点をしてしまい失敗をしてしまいます。他の失敗も上げるとキリがないのですが、努めて気を付けようと思っています。(チュウ)

第694号 憲法は「押し付け」か