第642号 集団的自衛権の変遷 

2014年6月7日 (土) ─

 集団的自衛権行使について、私は、個別的自衛権のなし崩し的拡大解釈を避けるため、「合理的限界を設定した上で、集団的自衛権の行使を一部容認すべき」と考えます。その背景にあるのは、80年代以降の政府の集団的自衛権解釈の変遷です。

◆1980年代:政府見解の確立 
 1981年、米ソ冷戦を背景に、政府は、集団的自衛権行使を否定する現在の見解を示します。 

 その後、米国との共同行動が議論になる中、シーレーン(海上交通路)防衛をめぐり、政府は、個別的自衛権の範囲を拡大していきます。そこでは、極東有事において、米軍の増援部隊を自衛隊が公海上において支援することは個別的自衛権の行使であるとの見解が示されます。 

 また、この時期、米海軍主催のリムパック(環太平洋合同演習)への海上自衛隊の参加について、集団的自衛権を前提とするものではないかとの国会質疑が繰り返しなされましたが、政府は、「戦術技術の訓練、向上を図ることに過ぎない」と答弁し、否定しています。この他にも、自衛隊の情報の米軍への提供、在日米軍経費負担が、集団的自衛権行使にあたらないかが議論されましたが、政府はいずれも否定しています。

◆1990年代:自衛隊海外派遣 
 湾岸戦争を背景として、PKO(国連平和維持活動)等への自衛隊海外派遣が議論となります。その中で、政府は、「武力行使と一体化」せずに、自衛隊が米軍等に協力する場合には、集団的自衛権の行使にはあたらないとの答弁を行います。 

 その後、武力行使との一体化については、1999年の周辺事態安全確保法、2000年代のテロ対策特措法、イラク特措法等において、政府は、「後方支援」及び「非戦闘地域」という概念を作り出し、後方支援と非戦闘地域における活動であれば、武力行使との一体化の問題は生じないとの論理を展開します。すなわち、後方支援又は非戦闘地域→武力行使と一体化せず→集団的自衛権行使にあたらない、という理屈です。しかし、紛争地域における後方支援、非戦闘地域という概念は、集団的自衛権行使にあたらないとするための、説明のための説明で、便宜的と言わざるを得ません。

◆2000年代:弾道ミサイル防衛 
 弾道ミサイル防衛(BMD)が議論の対象となり、2005年に自衛隊法に弾道ミサイル迎撃手続を定める際、政府は、武力攻撃事態が認定されていない場合のBMD措置について、自衛権の行使ではなく、警察権の行使に相当すると説明し、BMDを集団的自衛権の範囲外に位置づけました。 

このように、これまで政府は、集団的自衛権の行使は認められないとする一方で、外交・防衛上の現実に対処するため、個別的自衛権や警察権の拡大解釈、さらには、後方支援・非戦闘地域といった独自概念を作り出すことで、真の争点を回避してきました。現実の必要性に応じたなし崩し的拡大解釈は、結果として平和主義を危うくする可能性があります。そうであるならば、本来、集団的自衛権で説明すべき部分は、無理な解釈を行うのではなく、堂々と、集団的自衛権行使の是非とその限界を国民に見える形で議論すべきではないか。それが私の問題意識です。(了)

 

スタッフ日記「すばらしい共存関係」 
 去年の夏、息子の友達一家が海外へ引越すことになり、飼っていた9匹の金魚を水槽ごと譲り受けました。 

 その後、金魚の仲間にと、息子と主人が小さな鯉を飼う事を決め、それなら、と大きな水槽と水草まで購入したので、魚たちの環境は良くなるはずだったのでした。 

 しかしなぜか金魚は病気になってしまい、手を尽くした甲斐もなく6匹の金魚が死んでしまいました。そして鯉も。原因は環境の変化とストレスとのことでした。 

 ただ、これ以降、息子と主人は水槽の世界にハマってしまいました。現在うちには大小様々な水槽が4つあり、淡水系の色々な生き物と水草や苔が暮らしています。 

 最近は息子がカエルを飼いたいと言い出し、それだけはダメ!と阻止している所です。 

 生き物の世界は弱肉強食で、相性などもあり、多様な生物を組み合わせるのは結構難しいようです。人間も同じように、作られた環境では自然体を保てず、どこか無理が生じてしまう気がします。 

 その観点からすると、奈良公園の芝と鹿の関係には驚かされます。 

 普通、公園の芝は刈り取りをしないと生えてきませんが、奈良では鹿が芝を食べてくれるので、いつも手入れされた状態を保てています。 

 そして、鹿の糞をフン虫が分解してそれが芝の栄養になり、成長した芝をまた鹿が食べる、これは素晴らしい共存のサイクルです。生態系の仕組みが1000年以上変わらずにあるのはすごいことです。 

 うちの水槽の世界も素晴らしい共存関係が作れるといいのですが。(チョロ)

第642号 集団的自衛権の変遷