第641号 「吉田調書」を開示せよ 

2014年5月31日 (土) ─

 東電福島第一原発所長で、事故当時、現場の指揮にあたった故・吉田昌郎氏の証言記録の扱いが議論になっています。

◆「吉田調書」とは 
 「吉田調書」とは、政府事故調が吉田氏を聴取した内容を記録したもので、2011年7月から11月まで29時間の証言が記録されています。原本は内閣官房に保管され、非公開とされていますが、朝日新聞が5月下旬からその内容を報じています。 

 公表された内容には、震災4日後の2011年3月15日、2号機の格納容器破壊が疑われる中、第一原発所員の9割にあたる約650人が、吉田所長の意図した指示(第一原発構内での待機命令)に反し、10㎞離れた第二原発に撤退していた事実や、震災から3日後の3月14日、圧力が上昇していた3号機について、高濃度の放射性物質を人為的に放出するドライベントの準備を、避難等が必要な住民に周知しないまま進めていたことなど、これまで明らかになっていなかった事実が含まれています。

◆なぜ公開しないのか 
 政府は、吉田氏が体調不良のため聴取に応じられなかった国会事故調へ、政府事故調が「吉田調書」を貸し出す際、吉田氏が提出した「上申書」を根拠に、調書を今後も非公開とする方針を示しています。 

 しかし、上申書は、「国会事故調から第三者に向けて公表されること」を望まないとしているにすぎず、吉田氏が自らの意思で公表する可能性を排除していません。また、公表資料によると、第1回の聴取の際、吉田氏は、公開の可能性を前提に聴取に応じることを問われ、「結構でございます」と回答しています。故人の真意を確認することはできませんが、最悪の事故を現場で経験された吉田氏が、公共財とも言えるその記録全てを、永久に非公開とする意思を有していたと断じることについては疑問が残ります。

◆再稼動への影響 
 政府が「吉田調書」を公開しない理由には、故人の意思の尊重以外の理由があるのではないか。考えられるのは、原発再稼動への影響です。 

 政府は、4月にエネルギー基本計画を閣議決定し、その中で、「原子力規制委員会の規制基準に適合すると認められた場合、その判断を尊重し、再稼動を進める」としています。つまり、再稼動のためのチェックを担当するのは独立した原子力規制委員会であり、委員会が了とすれば再稼動する。政府は判断主体にならない、というものです。しかし、規制委員会の審査は、原子力施設に関するものに限られており、事故時に住民避難が適切に行われるか、危機的状況で必要な人員をどう確保し続けるのか、といった点については審査されません。吉田調書は、事故の現場で、これらの点が決定的に重要であることを事実として示しています。その意味で、再稼動を進める安倍政権にとって、「吉田調書」は不都合な真実そのものと言えます。 

 事故の教訓を活かし二度とあのような事故を起こさないためにも、「吉田証言」は、証言者の利益に配慮した形で、可能な限り広く公開し、歴史的な検証資料とすべきです。故人の意思を盾に、都合の悪い真実を隠す政府のやり方には疑問を抱かざるを得ません。(了)

 

スタッフ日記「父の日」 

 6月の第3日曜日は父の日ですね。 

 父の日は、1909年アメリカのソノラ・スマート・ドットが、男手一つで育ててくれた父を讃え、教会の牧師にお願して父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけといわれています。 

 アメリカで正式に祝日になったのは、1972年です。日本では1950年ごろから広まり始め、一般行事となったのは1980年代だそうです。 

 私は父を21歳の時に亡くしたので、父の日は私には縁遠いものでしたが、その後、結婚して今は主人の父の日をお祝いすることができるようになりました。 
結婚してよかったことはいくつかありますが、父(主人の)ができたことは、大きな嬉しいことです。主人の父とは、一緒にご飯を食べながらお酒を飲んだり、大好きなプロ野球の試合を一緒に応援したりしています。 

 毎年たいしたことはしていませんが、そんな父に父の日のプレゼントを選んでいる時はとても楽しいです。 

 そして同時に、父が健在だったらどうだったのだろうか?と考えたりもします。 

 50歳前だった父は、元気だったら74歳。あいかわらず口うるさく小言をいっているのだろうか?一緒にお酒を飲んだりしているのだろうか? 

 当時の私は、まだまだ幼く反抗的な態度ばかりで、ゆっくり話をすることもありませんでした。今なら2人でどんな話をしているだろう?父の日は、父のことを心穏やかに思い出し、想像させてくれる日でもあるのです。 

 さて今年のプレゼントは何にしようかな?(まーちゃん)

第641号 「吉田調書」を開示せよ