第629号 集団的自衛権論議を考える
衆参予算委をはじめ、安倍政権が目指す集団的自衛権の行使容認についての議論が本格化しています。
◆集団的自衛権とは何か
集団的自衛権とは、簡単に言えば、日本に関係のある国が攻撃された時、自衛隊が反撃に加勢する権利です。国連憲章51条に規定されており、国際法上、全ての国に認められた権利とされています。
一方で、これまでの政府解釈は、日本は集団的自衛権を権利として保有はするが、憲法はこの権利を使うことを許していない(権利はあるが行使はできない)というものです。安倍政権は、この憲法解釈を改め、集団的自衛権の行使を可能とする方向で作業を進めています。
◆今後のスケジュール
安倍政権は、首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)から4月に報告書を受け取り、その後、与党内で調整を行った後、夏までに解釈変更を閣議決定し、秋の臨時国会で自衛隊法改正(海外での武器使用基準の緩和等)などの必要な法整備を行う見込みです。さらに、これらを年末の日米防衛協力のための指針(ガイドライン)改定に反映させたい考えです。
一方、夏の閣議決定前の与党調整では、解釈変更に慎重な公明党との間で紆余曲折も予想されます。
◆先走る安倍首相
集団的自衛権行使を容認する際、手続上の選択肢としては、①憲法改正、②安全保障基本法制定によって集団的自衛権を法的に担保、③政府解釈変更の閣議決定、の3つが考えられます。国民、国会の関与は①→③の順に小さくなります。自民党は、2012年衆院選、2013年参院選で、国家安全保障基本法を制定することを政権公約とし、②の立場をとっていました。しかし、今回、政府は、「二度手間になる」として、③の手続き、すなわち国会が関与しない形で集団的自衛権行使容認を行なおうとしています。
今後の検討でどの範囲で集団的自衛権を認めるかにも関わりますが、憲法上の原則である平和主義の性質を変えるような重要な変更を、公権力の主体であり、本来、憲法に縛られる立場にある政府が、閣議決定による解釈変更というやり方で一方的かつ恣意的に行うことには立憲主義や民主主義の観点から問題があります。憲法には、基本的人権、平和主義、国民主権といった、多数決や数の論理でも奪うことが許されない重要な権利や基本方針が規定されています。それを踏まえれば、重要な変更を行うには、多数を握っている政府与党内での議論だけでなく、国会において国民を巻き込んだオープンかつ徹底的な議論を行うことが最低限要求されます。
私自身は、憲法は不磨(ふま)の大典ではなく、時代に即した見直しは必要という立場です。しかし、その立場から見ても安倍政権が進めるやり方は拙速と言わざるを得ません。与野党から批判が出ている先月の衆予算委での安倍首相の「(憲法解釈の)最高責任者は私だ」との答弁や自衛隊法改正への言及等、先走る首相に対して国会がチェック機能を果たせるかが問われていると自認し、気を引き締めて論戦に臨みます。(了)
スタッフ日記「卒業」
3月と言えば卒業シーズンです。慣れ親しんだ生活から新たな環境に一歩踏み出す方もいらっしゃるかもしれません。私も2年前に社会人としてスタートした時のことをはっきりと覚えています。
正月に初詣へ出向いた時、今年1年の目標はイメージチェンジだ!と意気込み、おみくじを引きました。結果は見事に大吉で、これはいけるぞ!と思ったのですが、年始の忙しさに追われなかなか挑戦できずにいました。
そんな時「見た目から変えるのも1つの手ではないか?メガネをはずすとか。」と代議士から言われ、小学生より16年かけ続けたメガネを卒業し、この度コンタクトデビューをする運びとなりました。
何度も苦戦しながら、やっとのことで装着し、まぶたを開けると16年振りに見る障害物のない視界が広がっていました。メガネのレンズが傷ついていたためか、景色の鮮やかさが全く違っていて、すべてのものが新しく見えました。
今年も貴重な春休みを利用して2人の学生がインターン生として奈良事務所へ来てくれています。学校という日常から政治の世界へと飛び込んできたその一歩は私のコンタクトよりもはるかに大きな挑戦です。早朝のニュース配りから、夕方まで一生懸命頑張っている姿を見ると、どこか忘れかけていたものを教えてくれているように思う事もあります。
かつてはできていたように、より大きな新たな一歩を私も踏み出せるよう頑張りたいと思います。(特命係長)