第588号 「憲法改正」を考える 

2013年5月4日 (土) ─

 憲法96条を巡って、安倍首相が、国会が憲法改正を発議する要件を、衆参各院の議員の「3分の2以上の賛成」から「過半数の賛成」に緩和することに意欲を示すなど、憲法改正に関する議論が活発化しています。

◆憲法96条改正の意味 
 憲法に対する私自身の立場は、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という基本原則は維持する必要があるものの、憲法は不磨(ふま)の大典ではなく、時代に応じて変えていくべき部分はあるとの立場です。もちろん、改正に際しては国民的な理解が大前提となります。 

 憲法96条改正に向けた議論をする際に、憲法96条が何を定めた規定なのかを確認することが必要です。憲法96条は、憲法改正について国会での発議要件「3分の2」や国民投票による過半数の賛成という高いハードルを課しており、日本国憲法が「硬性憲法」であることを性格づけています。硬性憲法とは、その改正にあたり通常の法律の改正手続よりも厳格な手続を必要とする憲法のことで、時の権力者や議会の多数派から、単純な多数決では否定できない普遍的な価値、例えば少数者の基本的人権等を守る機能を有しています。その意味で、96条改正は、単なる手続論ではなく、憲法の基本的性質を変えるべきか否かという本質論としての性格を有しています。 

 現行の憲法96条は、全ての条文について、一律の改正手続を要求していますが、憲法には、平和主義や人権等の憲法の基本原則と密接に関連する条文と、国会や地方自治といった国家統治の仕組に関する条文とがあります。議論を精緻化するために、平和主義や人権等の憲法の基本原則と密接に関連する条文の改正については、現行の厳格な改正要件を維持する一方、衆参の決定にねじれが生じた場合に、政治の意思決定の停滞を防ぐための仕組の整備(例えば両院協議会の見直し)等、国家統治の仕組に関する条文については改正要件を緩和するといった選択肢も視野に検討すべきと考えます。

◆手続緩和の先にあるもの 
 自民党は、改正の発議要件を条文毎に変えるという考えはとらず、一律に法律改正の場合と同様の過半数まで緩和すべきとの主張です。そのような主張である以上、改正要件が緩和された先にある憲法改正の中身を意識する必要があります。 

 論点の一つに、人権への制約をどの程度認めるかという問題があります。自民党の改正草案は、包括的基本権と言われる13条をはじめ、国民の権利に「公益及び公の秩序」による制限を広く認めています。しかし、そのような曖昧な概念による人権制約を認めることは、権力者による「表現の自由」等の人権、例えば言論やデモ活動への恣意的な規制を容易にし、人権保障を危うくしかねません。 

 一方、民主党は、2005年の「憲法提言」で、現行憲法の「公共の福祉」の概念や基準を明確化することを主張し、人権への制約についてより慎重な態度をとり、人権保障を実質化するための改正を提言しています。 

 この他にも論点は多々ありますが、国民の「国家からの自由」を保障するという立憲主義の本質を踏まえ、参院選挙に向けて国民に選択肢を示す骨太の議論を行っていきます。(了) 

 

スタッフ日記「山笑う」
 私たち家族が奈良に越してきて20年が過ぎました。住まいはマンションの6階で、玄関のドアを開けると目の前に生駒山が広がります。 

 朝一番、生駒山を見て「今日も一日元気に行ってきます!」と心の中で声をかける事が私の日課です。 

 四季を通して生駒山を見ていると、山は生きていると感じます。冬の生駒山から吹きおろす風が冷たい時も私の心を一年中癒してくれます。 

 そんな中で私が一番好きなのは、4月から5月にかけての春の景色です。冬の寒さに耐えた木々が一斉に大空にむかい力いっぱい芽吹きはじめ、新緑が目に眩しいくらいキラキラと輝きます。この頃の山を見ているとまるで野菜のブロッコリーを大きくしたようで、緑の濃淡が色鮮やかになり、山が日に日に膨らんでゆくように感じます。そんな成長する生駒山から自然のエネルギーをもらっている事を感じるのも春の醍醐味です。 

 昨年我が家にホームステイしていたアメリカ人の男の子が「日本の山は美しい!」と山を見るたびに言いました。私が「何処でも一緒でしょう?」と聞くと「日本の山は緑の種類が多くて遠近があり、美しくて絵画のようです」と言いました。彼の住むコロラド州では山の木は一種類だけでどこを見ても同じ色しかなく、美しいとは感じないそうです。冬の間眠っていたすべてのものが一斉に動き始める春。野山の春を「山笑う」と名付ける日本人の感性も素敵です。(エバ)   

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