第581号 インフラ維持管理の責任
11日、大津波と原発事故による未曽有の複合災害となった東日本大震災から2年を迎えました。震災によりかけがえのない命を失われた多くの人々とそのご遺族に対し、改めて哀悼の意を表します。
国会では、衆院予算委において平成25年度予算案の審議が本格化しています。その中でも復興・防災対策は一つの大きなテーマです。今回は、防災対策に関連し、昨年末の笹子トンネル事故でも関心が高まったインフラの維持管理に関する責任について私の考えをお伝えします。
◆維持管理責任の所在
インフラの維持管理については、その重要性は誰もが認めるところであり、民主党政権の下でも、管理者が財源も含めて責任を負うことを明確化する等の取り組みを行ってきました。
維持管理の責任は、インフラ管理者としての国、自治体、関係機関(高速道路会社など)が負うことが、道路法や高速自動車国道法をはじめ各インフラに関係する法律で明確に示されています。そこで重要になるのが、費用負担との関係です。民主党政権となった平成21年秋、次年度予算編成時に「地域主権の確立に向けた取り組み」が政権の大きな課題として示されました。当時、私は国交副大臣として地域主権確立のため「補助金の一括交付金化」と同時に「直轄事業負担金の廃止」にも取り組み、国によるインフラに関する直轄事業の負担金として自治体に課せられている45%負担について、政権交代後の初年度となる22年度予算では耐震改修等を除いて廃止し、国交大臣として策定した23年度予算では全廃としました。すなわち、国は国、自治体は自治体、と管理者が財源も含めて責任を有することを明確化したのです。
そもそも国民の安全安心に関わるインフラの維持管理費用は、各々のインフラ管理者が最優先に確保するべきものです。こうしたかつての地域主権の確立に向けた取り組みとは、国、自治体などの管理主体の責任を明らかにし、各々が責任を果たしていくべきとの発想に基づいたものであり、極めて重要な取り組みであったと考えます。
◆維持修繕基準のあり方
一方、維持修繕基準のあり方に関しては課題が残されています。道路の維持修繕に関しては、道路法が、維持修繕に関する基準を国が政令で定めることを規定しているものの、昭和27年に法律ができて以来、未だその政令は定められておらず、これまで通達やマニュアル等の形で対応がなされてきました(港湾、鉄道は省令等で規定)。
その背景として、老朽化したすべての道路構造物に適用される技術基準を策定することの技術的困難さに加え、政令で基準を定めることは、国道及び高速自動車国道や都道府県道のみならず市町村道をはじめとする、ありとあらゆる道路に関して、維持管理の「責任」を国が負うことになるということがあると考えられます。
現在、道路の維持修繕基準のあり方については、国交省の道路メンテナンス技術小委員会において検討が進められていますが、インフラの維持管理が改めて問われている時代だからこそ、国は責任を回避することなく積極的にこの問題に取り組み、責任の所在を明確にする作業を進めるべきと考えます。(了)
スタッフ日記「テレビが見たい」
2月から事務所のお手伝いさせて頂いている同志社大学の1回生です。いまは京都の京田辺市にて悠悠自適の下宿生活を送っています。
しかし、困ったことに僕の下宿にはテレビがありません。また、新聞もとっていないので、いつも携帯やパソコンのニュースといった非常に簡単なものしか見ていません。
先日、実家で久しぶりにテレビをつけてみると、PM2.5という粒子状物質が日本に猛威をふるっているというニュースが流れました。前からその存在は知っていたのですが、そのときになって初めて詳細が分かり、改めてテレビのすごさを感じました。
このように、非常に限られた情報源しかない環境にいるため、タイムリーな話題にはなかなか触れられず、友達のお話にもついていけないことがあります。
もともと僕は大学に入って下宿生活を始めるまでは大のテレビっ子で、テレビで流れていたことは大抵信じ、それを自分の生活に反映しようとしていました。要するに、典型的なミーハー思考で、流行に乗り遅れてはいけないという気持ちが非常に強かったのです。
しかし、今はテレビがない環境のなかで、僕自身別になくてもいいやという気持ちになりつつあります。それはテレビがあると時間がどんどんなくなってしまい、やりたいことが結局できなくなるからです。けどやっぱり、時々見たいとも思いますが…。(ひらっち)