第553号 内閣不信任案

2012年8月11日 (土) ─

 8月7日、今回の消費増税法案に反対をするみんなの党や国民の生活が第一など野党6党が内閣不信任案を提出しました。

 そもそも今回の増税法案が成立する前提には、6月末の民・自・公の三党合意があります。公党による三党協議の結果は大変重要なものであるため、本来であれば、少なくともこの法案が成立するまでは、三党が一致団結して国会審議にあたらなくてはなりません。

 しかし、法案成立後の衆議院解散の時期などの理由から、自民党内でも不信任案に賛成すべきという意見が一部で高まり、とうとう8日「正午までに(与党から)解散の確約がなければ、内閣不信任案提出も辞さず」という局面まで至りました。これに関しては私は無理もない話だと思っています。野党が解散を求めてきたのは今に始まったことではありません。 

 確かに、野田総理は政治生命を賭けて消費増税法案を通そうと野党との三党合意まで取り付け、結果、与党である民主党を分断させました。その決意は確かなものだったことでしょう。ただ、消費増税法案成立後は、再び野党が対決姿勢に転じるのは明らかなはずでした。ですから、この参院採決ギリギリの局面で自民党がこのような動きをしたのは野党内の事情があってのことでしょう。

◆自民党の戦略と官邸
 本来なら「解散との引き換え」は衆院採決前にもっと話し合っておかなければならない事柄なので、野党の対応も一見戦略的でないように見えます。三党合意までしたのにどうして?と思われる向きもあるかもしれません。しかし、実はあの三党合意の局面は民主党の分断を狙っていたのだとすれば、それは戦略どおりに事が運んだ事になります。その上で今回また参院でちゃぶ台をひっくり返すそぶりを見せ、解散時期についての話を有利に進めたのだとしたら、またそれも極めて戦略的だといえます。

 ただ、こうした一連の行動は外部から見れば全て国民不在の権力闘争としか映らないし、本来求められている政治の姿とは程遠いものです。あえて誤解を恐れずに言えば、私は政治における権力闘争そのものを否定はしません。それは歴史を見ても明らかです。むしろ、与野党の対立とは、常に権力闘争を内在しており、そのことは与党ならば前提として考えなくてはならないと思っています。 

 残念なのは、こうした野党を尻目に、一方の官邸の行動が戦略的には見えないということです。これも私達与党議員全員が請け負わねばならない組織としての責任です。

◆「近いうちに、信を問う」
 8日午前の国対委員長会談は与党が「近い将来、信を問う」との意向を示しましたが、結論とは至りませんでした。その後、同日の夜に三党の党首会談で「近いうちに国民に信を問う」事を確認してようやく合意を得ました。「近い将来」と「近いうち」がどれほど違うのか、国民からするとわかりづらい玉虫色の決着ですが、安易に新党を作るような流れにはきちんと「否」をつきつけていかなくてはなりません。

 私自身は6月から解散も含めた可能性を見据え、行動をしてきました。今後も状況を見極めながら行動して参ります。(了)

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スタッフ日記「嗚呼、テレビ」
 僕の部屋にはテレビがありません。

 僕は去年、奈良から東京に出て、いまは寮で一人暮らしをしています。家具をそろえるときにテレビも買っておけばよかったのですが、「最近は若者のテレビ離れが進んでいるみたいだし、そんなに必要ないだろう」と判断してしまったのです。 

 この時の見通しの甘さをいまではとても後悔しています。確かに「あんまりテレビ見ない」という人もけっこういますが、僕は根っからのテレビっ子で、暇さえあればバラエティ番組やお笑い番組を観て育ちました。しかし当時はテレビのある生活が当たり前すぎて、どれだけ自分がテレビに楽しませてもらっているか認識できていなかったのです。 

 テレビがなくて一番困るのは、みんなの話についていけないことです。しかも、今年はオリンピックイヤー。日々の会話も必然的にロンドンオリンピックの話題になります。もちろん僕も日本人選手がメダルを獲得したとか、惜しくも逃したということを新聞やネットで知ることはできるのですが、実際に競技の映像を見ている人とはやっぱり感動のリアリティーが違います。友人から選手たちの華々しい活躍を聞くたびに「テレビで見たかったなー」と思います。 

 テレビの素晴らしさも失ってはじめて気づきましたが、僕をいろいろ気にかけてくれる親のありがたみも一人暮らしを始めてから気づきました。なので、奈良にいるお父さんお母さん、これを読んでいたらどうかテレビを買ってください。(ペーター)

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