第543号 国会事故調 

2012年6月2日 (土) ─

 多分あるだろうと思っていましたが、やっぱり来ました。先週末、事務所に連絡が入りました。国会事故調の参考人聴取です。菅前総理や枝野元官房長官などが意見聴取を受けている映像をTVでご覧の方もおられると思いますが、原発事故収束対応担当として総理補佐官だった昨年の3か月間について、今度は私自身が事情聴取を受けることになりました。

 去る5月31日、午前8時半より3時間の予定で、参議院会館にて事情聴取は行われました。通称「国会事故調」は、正式名称を「国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」と言います。平成23年東北太平洋沖地震に伴う東京電力福島原子力発電所事故に係る経緯・原因の究明を行い、今後の原子力発電所の事故の防止及び事故に伴い発生する被害の軽減のための施策又は措置について提言を行うことを目的として国会に設置された機関です。憲政史上初めてこのような独立の調査委員会が国会に設置されたのですが、委員長及び委員の任命の日から概ね6カ月を目途として事故調査の結果や提言を記載した報告書を取りまとめることになっており、その提出に向けたヒアリングの最終盤の対象者が私だったのだと思います。

◆公開か非公開か
 ヒアリングは、残念ながら非公開でした。私は堂々と公開の場で私の知り得たすべての事柄について明らかにしたいと思い、事故調事務局に公開を求めました。しかし、「原則として、今回の事故又は事故対応において重要な役割を担われたと思われる組織のトップ又はそれに準じるものについては、公開の委員会で参考人として招致、その他の者については非公開のヒアリングとする」ルールであるとの回答があり、それはかないませんでした。

◆傍証としての聴取か
 黒川委員長以下4名の委員及び事務局が待つ中、私は当時の秘書官など2名の随行員とともに聴取に出席しました。黒川委員長からは、発災後2週間強を経て総理補佐官に就いた3月26日から退任の6月27日までの94日間の私の執行業務について詳細を訊ねられました。 

 発災直後の混乱時に任に就いてなかった私には、既に事情聴取を済ませた当時の責任者たちの証言の裏づけを得ようとするかのような質問が相次ぎました。特に委員の皆さんが強い興味を示されたのは、指揮命令系統の混乱が発生していた当時の政府・東電統合対策本部の組織体制についてでした。 

 これについては、急場を凌ぐために作られた任意団体である政府・東電統合本部によるコントロールが、法律に基づく責任と権限で担保された命令にしか従わない役所や所管企業に対してうまく効かなくなっていた当時の状況を伝えました。もちろん、その後の放射性物質汚染拡大防止策の実施や4号機燃料プールの耐震補強さらには最悪のシナリオに対する準備など実施した施策の詳細も伝えました。 

 聴取は結局2時間10分ほどで終わりましたが、公平な事故原因並びに再発防止策の提言を望みます。責任の所在も確かに重要ですが、危機管理システム欠落の原因を明らかにすることが最も重要です。憲政史上初の独立委員会の成果を期待したいものです。(了)

 

スタッフ日記「奈良の豊かさ」
 奈良での生活がスタートして、はや1ヶ月が経とうとしています。あっという間に時が過ぎていきますが、それでもまず奈良を好きになるところから始めよう、と毎日原チャリで走り回っております。 

 お恥ずかしい話、これまで奈良の知識と呼べるものは東大寺と薬師寺ぐらいのもので、他にどんなものが待っているのかとワクワクしてながらこちらに来ました。 

 しかし、地元の方々に伺っても「奈良には特に有名なものはないよ、北海道とは違っておいしい物も、お土産も少ないし。京都や大阪には勝てん。」と、意外な答えが返ってきて、ワクワク感は見事に裏切られました。それならば、ということで自ら“奈良探しの旅”を始めることにしたのです。 

 ほんのひと月ですが、たくさんのお店を食べ歩き、多くの人に話しかけ、できるだけ多くの景色を見ようと努めてきました。そこで発見したこと、それは“人”です。困っている人を当たり前に助ける姿、私のような新住民や観光客への配慮も格別であり、誰もが求める温かさがありました。 

 大きなビルや、デパートはないけれど、モノやサービスだけではない、“心の豊かさ”が奈良にはあるのだと思います。お互いが少しの我慢をすることで、みんなで喜びを手に入れてわかちあう、そんな暮らしが根付いているのように感じました。厳しい気候にも屈せず、盆地という土地にでも皆で造り上げてきた土地、文化、そして、人の絆があります。奈良には何もないといいながら、みんな奈良が好きなのだと思います。 

 私も出来るだけ早くにその一人になりたいです。(特命係長)

第543号 国会事故調