第528号 最悪のシナリオ
2月7日、参議院予算委員会で細野原発事故担当大臣の口から「最悪のシナリオ」を知っていた人間として、私の名前が挙げられました。今回はこの件について整理をしておこうと思います。
◆突然の辞令
昨年3月26日、官邸に急遽呼び出された私は総理大臣補佐官を任命され、その足で政府・東電総合対策本部全体プロジェクトの会議に直行しました。
そこで細野補佐官から示されたのが、いわゆる「最悪のシナリオ」でした。
その際は説明と共に見せられただけでしたが、3月25日付のその資料には更なる水素爆発による格納容器破損で放射性物質が次々放出される不測の事態が描かれていました。
そして総括リーダーとなった細野補佐官からは私に放射性物質の汚染拡大防止を図る「遮へいプロジェクト」のリーダーを要請されました。
事態の詳細や、原発の知識もほとんどない私が直後から会議を開催することになったわけですが、当時はただただ「大変だ!」との思いを胸に、必死になって立ち向かったのを覚えています。
それから2週間は飛散防止剤の散布から、原子炉建屋のカバリング、海中への放射性物質拡散流出防止策検討や、度重なる余震対策のための4号機燃料プールの耐震補強工事の立案などに没頭していました。
◆再呼び出し、そして取り組み
そして4月7日。再び細野補佐官総括リーダーからの呼び出しを受け、改めて「最悪のシナリオ」を提示された上で、いきなり「遮へいプロジェクト」とは別に「最悪のシナリオ」への対策の指揮を頼まれることになりました。26日からの2週間、私自身は遮へいに注力しており、最悪のシナリオへの動きは一切知らされていませんでしたが、またもや大変な仕事を委ねられたことは明らかでした。
国民の生命の安全を守るためにも極めて重要な任務であるので、統合本部組織として明確に位置づけ、責任を持って対応すべき事だと総理にも進言し、「遮へいプロジェクト」を「中長期対策プロジェクト」へと組織改組も行いました。最悪の事態にも対処していることをむしろ国民にも開示すべき、という基本姿勢を持って臨んだのです。
菅総理も「政府が最悪の事態を想定して準備をしていることを隠す必要はない。むしろ、国民の皆さんに安心してもらえるはずだ」と、私の進める方向性を支持してくれました。また、東電ロードマップへの反映も強く主張し、5月17日のロードマップから最悪のシナリオの内容は反映されることになりました。
このように最悪のシナリオへの対応策が整えながら、水素爆発の危険性の除去も一歩一歩進めてゆきました。
細野大臣は「最悪のシナリオ」を当時知り得た者として、菅総理、細野補佐官、近藤委員長、そして私の名前を挙げましたが、もちろんこの対策作業に当たった者は全てこれらの情報を知りうることになります。
政府の危機対応は働いており、最悪の事態への準備も整えていました。飛びかう様々の憶測に関心はありませんが、少なくとも当時の補佐官として行うべきことは全力で取り組んだと思っています。そして今、その経験を踏まえて日本が原子力とどう向き合うべきか考えて参りたいと思います。(了)
スタッフ日記「普通に暮らせる幸せ」
こんにちは。私はこの春奈良事務所でインターンさせていただいている大学1回生です。
普通の生活を送れることは、幸せなことです。「福祉」とは「普通に暮らせる幸せ」の頭文字を取ったもので、特別な人だけに適用されるものではなく国民一人ひとりが対象であると大学で学びました。少子高齢化、医療、介護、社会保障の問題など、日本の社会福祉は崩壊寸前のところまで来ており、我々若い世代はこれらの課題と真摯に向き合っていかねばなりません。将来、国民一人ひとりが普通に暮らせる幸せを享受できる社会の構築に貢献できる一員になりたいと考え、まず行政というものを間近で感じることから始めようと事務所へのインターンに踏み切った次第です。
奈良事務所の活動は、地道な活動が多いことを実感しています。でもそのような仕事が、代議士と市民の皆様との橋渡しとなり、その意味で奈良事務所は政治の根底の役割を果たしているといえます。
私は中学高校時代バレー部に所属しており、リベロというポジションでした。アタッカーのように直接得点する華やかなポジションではありませんが、まずレシーブが上がらないことには攻撃に結びつきません。そこで私は何においても基盤が重要であると実感しました。代議士を国会に送るために、地元奈良での基盤をしっかり固めなければならない。奈良事務所はそんなリベロのような縁の下の力持ちの役割だと感じています。そんな奈良事務所で成長できるよう日々邁進していきたいです! (あんちゃん)