数字で見る101日間
いよいよ明日、国会召集ということで上京する。今日は、臨時党大会で小沢代表が改めて選出され、新執行部がスタートする。
6月18日(日)の閉会日を前に金曜日の6月16日に実質的には国会は閉じた。そして、明日の召集までの実に101日間の閉会期間があった。閉会前に予定していた目標の半分も達成できなかったと、再々お伝えしてきたが振り返るとあっという間。
101日間を数字で振り返ってみる。
完全休養は4日。梅雨も明けない夏の初めに、子どもたちと海水浴に出かけたが、結局その4日間が閉会中に取れた唯一の休みとなった。盆休みとして5日間は事務所を閉めたが本人とヒロコは地元周りに精出した。
予想外だったのが、地元以外への応援や講演の依頼。九州の小倉、福岡、長野の上田、静岡は浜松に広島、京都、そして神奈川の厚木、伊勢原、大阪の八尾、茨木、池田とこの閉会中に20日間ほど飛び回ることになった。
視察は控えめにしていたのだがそれでも、観光政策で会津、ソフトウェア拠点の中国の大連、併せて4日間。上京しての東京での講演活動は、さまざまな会にお誘いもいただき、10日。参院選対応での選対との打合せや政調の党務などで、東京での活動が10日。
それ以外は、地元での活動だったが、大阪まぶち会の設立準備会や、第二回まぶち会総会など後援会の会合の準備に追われもした。
閉会中にはお盆の期間も含めて68日間の「平日」があったが、その間の駅頭や街頭での演説は47日。地元を離れている時も結構多かったので、逆に言えば奈良にいる間は、常にマイクを持ってどこかに立っていた。いつもどこかで見かけていただけたのではないかと、思う。
ポスターの掲示枚数は、この間に約300枚。
シビックミーティングなどのタウンミーティングは月イチで3回、ミニ集会は延べ100時間、ビラのポスティングも強化して、30万枚。
以上、数字で見るとよーく見えてくるものがある。そしてなんと言っても、閉会前に大工程として掲げていた目標には達していない現実もある。
なんとも悔しい思いなのだが、みんな頑張ったし、ずーっと頑張り続けることができないのも人間の実際だし、まっ、いっかーという想いもふとよぎる。
国会が始まるとあってはこの後の地元は、事務所に委ねるしかない。
事務所スタッフは数字に追いかけられた101日間だったかもしれないが、数字には現れてこないけど、もっともっとよく見えてきたこともたくさんある。
変わらぬ人の温かさ、迷いながらも一歩ずつ前に進んでいる人の努力の姿、そしてそれを支えようとする周りの気遣い。
掲げた結果の数値よりも、かけがえのない多くのことを得た、としみじみ思っている。