改憲議論の前に考えるべきこと
来週、代表選が告示となる。
無投票にはならないとは思うが、一方でその争点がどうなるのかというのも重要だ。
考えられる争点としては、野党共闘のあり方、戦う組織への変革、さらに憲法改正議論へのスタンス、など様々だ。前の二つは党内マネジメントの話であり内向きの話だが、憲法に関しては違う。
憲法については、政府の改憲論議に引きずられて、「改憲是か?非か?」、「憲法草案作成是か?非か?」などの議論に陥りがちだが、それ以前に、我が国に通底する社会的な価値観、規範を考えたときに、「憲法」とはなんぞやとの極めてプリミティブな考察が必要ではないのか?、との強い問題意識を私は持っている。
そもそも、憲法は、革命の産物だ。
欧米諸国において、王政などの封建国家から民主革命を経て、衆議を決する仕組みすなわち議会制民主国家へと変わりゆく過程で、権力を抑制する仕組みとして必要とされてきた規範が憲法だった。
まさに、歴史の分断、統治の非連続を補うものとして必要とされた根本規範である。国家を「人工国家」と「自然国家」に分類するならば、このような意味での憲法は「人工国家」をつくる仕組みの一部として位置づけられてきたと言える。
こうした、「人工国家」としての仕組みとしての憲法を否定するものではないし、フランス革命やアメリカの独立戦争など民主化の流れにおいて憲法や独立宣言が必要不可欠であったことは理解できる。
しかし、立憲主義が「憲法」のみを主権の体現とする考えと捉まえることには違和感がある。イギリスでは、王権を存続したままに伝統的価値観、慣習法などから「不成文」の憲法規範・体系を構築した。
議会決議や裁判所の判例、国際条約、慣習等のなかの国家の性格を規定するものの集合体を憲法とみなしたのである。そこでは、「憲法」以前に、国家と国民に根付く価値観や規範が最重要の意味をもつ。
長い歴史の歩みや目に見えぬ価値を守り、「自然国家」としての成り立ちを持つ我が国でも、こうした不文の価値観を憲法(規範)として位置づけるべきだったのではないか。
しかし、残念ながら我が国の革命と位置付けられるであろう明治維新の際、明治政府はプロイセンの欽定憲法を採用した。ドイツは、プロイセンによる近代国家としての統一は19世紀まで無いが、中世ドイツは神聖ローマ帝国として形式上は統一された帝国でもあった。
神聖ローマ帝国がドイツ第一帝国、プロイセンによる統一ドイツが第二帝国、ヒトラーによるドイツが第三帝国とされている。そんな中でのプロイセン憲法がフランスの1848年革命の影響を受けた産物であることは事実だが、ドイツ統一は市民革命によるものではなく、ビスマルクによる上からの統一であり、議会制と国王大権が併存する体系となった。
同じく薩長による上からの「革命」を経た日本が参考として、天皇大権と議会制を共存させようとすることに合致したのであった。
憲法は「革命」の産物であり、人工的な「国家」を創り出すものである。従って、憲法改正によってその都度新たな人工「国家」を作り出していくことには限界がある。
現行憲法改正という「革命」に短絡的に走るのではなく、国家を語る上では、むしろ自然発生的に受け継がれた歴史的規範を重視しその上で現行憲法をどのように捉えていくべきか考えていく必要がある、というのが、私が今最も関心を持つ事柄なのだ。
2千数百年に及ぶ、我が国の歴史の中で連綿と継がれてきた、「共生」の概念や、「調和」と「順応」、さらに「言挙げせぬ国」としての価値の伝承などであり、それこそ神武天皇の建国の詔から始まり、十七条憲法、律令制、さらには武家社会における数々の統治制度などによって、世界に冠たる精神国家としての礎が築かれてきた。
これらを国民が広く理解し、現代においても知らず知らずの間に我々に内在するこれら不文の規範・概念が、現行憲法を内包する価値観として国民の中にあるということを、再度検証すべきではないかと考える。
過去との連続性と継承の上に、未来を創っていく。その立場に立てば、矮小化された憲法改正論議からは一歩離れて、国家としての「国体」を共有する論議へと昇華させていくことができると、信ずる。
改憲論議では、改憲か護憲か、どの条文をいじるのかといったテクニカルな議論に陥りがちだが、「形式」ではなく、守られるべき価値・規範は何かという「実質」に着目した本質的な議論こそが必要である。ぜひ、こうした骨太の議論を、憲法議論の中で行っていきたいと思う。