安倍総理の外交戦略にみる訪中・訪韓

2006年10月10日 (火) ─

 安倍政権の実態が徐々に浮かび上がりつつあると感じる。

 これは、決して「(批判)野党」的に「国民を欺く内閣だ」などとの意見を発する意味で言っているのではない。

 夏前の総裁選を控えての時期から、外交・内政問題に関する安倍政権ブレーンらが、戦略と問題に対する対応ならびに答弁を周到に準備してきたことが伺えると、感じているのである。

 靖国参拝問題に対する「行くとも行かないとも、行ったとも行かなかったともいずれも明言しない」という、「あいまい戦略」によって、中韓いずれの国もが表明していた懸念を封じ込め、国内的には自身の意思と行動を翻したとの批判は意味を成さないと押さえ込む。

 菅代行が予算委員会初日に追求した、「前言を翻すのか!?」の批判には「政治家は謙虚であるべき」との、いったい誰に対してか?、歴史に対して謙虚とはどういうことなのか!?、意味不明の言葉でかわす。

 外交デビューは、首脳会談を待ち望んでいた中国、韓国を選定し、これまた「あいまい戦略」によって推進・設定。国際社会の主導的立場たらんとする双方が、共通の脅威と認識せざるを得ない状況になりつつある北朝鮮問題に終始する会談とする。

 共通の懸念となる第三者に対する議論に終始するのは、相互理解とは別に立場が同一との認識を持ちやすい。

 さすがに、韓国首脳との会談直前に北朝鮮の核実験強行の一報が入るところまで読んでいたとは言わないが、ある意味周到な戦略によって進められた政治日程により、今回のタイミングが引き寄せられたとも言えるかもしれない。

 いずれにしても、民主党はこの段階では政府の対応を見守る以外にないのではないか。

 もちろん、目に見えない部分での失敗や不備の指摘はあるのかもしれないが、国民に見える部分で明らかな失敗というのがあるわけではなく、むしろ、タイミングの良さという「ラッキー」もあいまって、肯定的な意見が国民を支配するであろうことは想像に難くない。

 外交問題は、「国益」を考量するに、時として政府に対して若干の間合いを取ることも否めないとは思うが、今回もそのような状況と感じる。

 かつて、岡田代表は党首討論で外交問題について、中国での反日運動が暴動にまで発展する恐れがあったとき、邦人の安全を考慮して、「国益に反する」として党首討論での質疑を封印されたことがあった。役員室次長としておそばで仕えた時に、岡田代表の冷静な判断には敬意を表したものであった。当時、そのことを表向きには発することはできなかったが、外交問題の難しさを垣間見た瞬間でもあった。

 安倍総理の外交戦略は、用意周到に構築されているとして、われわれは、民益こそ国益、の観点から今後も議論をしていかねばならない。

 質すべきは質し、さらに正すべきは正す、ことを忘れてはならないのは言うまでもない。

安倍総理の外交戦略にみる訪中・訪韓