子育てと自分探し
もうすぐ師走だと思っていたら、あっという間に半ばにさしかかろうとしている。そして、気がつけば二週間も日記の配信が滞っていた。ごめんなさい。
あまりにも多くの出来事が発生し、「ちぎっては投げ」の状態が続いたのだが、少し落ち着いた。
二週間に起きた出来事のエッセンスは、何回かに分けて、できるだけ思い出して伝えたいと思う。
さて、昨日は今年最後のシビックミーティング。
「父親まぶちが教育を語る」と題して、教育についてお話しする。ゲストには、旧知の間柄である民間教育産業の担い手として活躍中の、増沢空(ますざわむなし)ティエラコム社長をお招きした。最近の子どもの様子、親の様子、「困難にたじろがない」、「一人で勉強できる子」をどうやって育んできたか、などをお話いただいた。
いわゆる受験業界の話ではない。 31年間で2万人の子どもたちと触れ合ってきた現場の話が中心だ。
今日までの教育の、制度疲労が根本にあると語られ、教師(講師)の人間力強化を経営を通じて最大のポイントだと訴える増沢さんの話は、人に対する優しさに満ちている。ご自身は奥様と二人暮らしでお子さんがいない。「社員や、生徒が私の子どもですからぁ。」と笑って語られる。
増沢さんと話しているうちに、ふと先週の月曜日に訪れた、「子どもの居場所」事業を営んでいるNPO・子ども舎宙の皆さんのことが頭をよぎった。
子ども舎宙は、長年、子どもたちのために人形劇を催してきたのだが、あるときから子どもを連れてくるお母さんたちが、人形劇を見ることができなくなってきたことに気がついた。
子どもたちは熱心に、舞台を見詰めているのだが、お母さんたちはおしゃべりしたり、メールしたり、果ては出て行ったり。
かつては、親は子どもの表情を必死になって見詰め、「どの場面で喜んでいるのかしら?」、「目を輝かせて見てるかな?」、「子どもとあとで、劇についてお話できる場面はどこだろう?」などと、お母さんが子どもと一体となって人形劇に見入り、取り組んでくれていた。
しかし、それがだんだんなくなっていく。この原因は?、と探っていくうちに、今の「団塊の世代ジュニア」のお母さんたちなどが「自分探しをしながら子育てしなければならない」状況に追い立てられている現実に気づく。
ダンナも仕事が忙しいといって、子育ての相談など乗ってくれない。日々、子どもと二人きりの2DKの部屋で息が詰まりそうになる瞬間。気候の良い時期には公園にも連れて行けるが、そうでないときは、子どものイライラに母親自身のストレスがよりいっそう高まっていく。子育て同士のお母さんたちのコミュニティー広場の提供が、必須だ。そして室内の「居場所」の提供事業を始められた。
子ども舎宙の提供する、「ちゅうちゅう広場」は和やかに親子連れが休んだり、遊んだり、お弁当を食べたりしていた。何するでもなく、ただ、「居る」ことに安堵する。共通の話題や課題を持った母親たちが、突き詰めて語り合うでもなく、「同じ」もの同士でいることに安心を感じる場所。間違いなく、「子育て」にこのような手立てが求められている現実がそこにあった。
この、「お母さんたちの自分探し」の永い旅の途中に、共に子育てを様々な面からサポートしていくことが今、社会に求められているのだろう。
民間の教育機関でも、同様のことを考えて、お母さんを励まし、子どもを励まし、共に育つことをやってこられてきた増沢さんは、一方で、だからこそ子どもへの厳しさが求められているとも語る。
「先生、ノート!」と言って差し出す子どもに、増沢さんは「ノート?、何なの?、破って欲しいの?」と突っ込む。子どもは、ハッとして、「ノート...、見て..。」と詰まる。さらに、増沢さんは、「お願いするんだから、見てください、だろ!?」と問いかける。「ノート...、見てください。」の返事。
あきらめないことです!、と会場の方々に呼びかけられた。100ぺん言って、わからなければ200ぺん。とにかく、あきらめずに「刷り込む」。あきらめずに、そして信じて、語り続けることが必要だ、と締めくくられた。
涙ぐみながら、話しかけられてきた女性の出席者。今年最後に、良いタウンミーティングにできた、とささやかな喜びを感じるひととき。
会の終了後、場所を移して天下国家を語る会<大忘年会>の開催。
皆が期待しているということで、事務所からはサンタの衣装を渡される。「期待に応える」ってのがこれか?、の突っ込みする間もなく、会場の隣室で着替え。しゃーないな。
チューはトナカイの着グルミ。ダンボールのソリもスタンバイ。チューに「何でもせんならんねんな、この事務所は?、えらいコッチャで!?。」と話しかけると、「人事みたいに言わんでくださいよ〜!」と返される。そりゃ、そーだ!。
さて結果は、大盛り上がり!皆さん、手をたたいてひっくり返って大喜び。サンタとトナカイとの記念撮影が延々続く。
しかし、来年はさらにこれ以上のことを求められていくのかと考えると、少々先が思いやられる...。