国債管理政策を考える

2005年12月7日 (水) ─

 なにやら難解なタイトルとなってしまったのだが、要は「国の借金のやりくり」を一生懸命考えよう、という人たちの話を聞く機会を得た、ということである。

 借金についてひと言言わせてもらえば、企業経営に身を置いてきたものとしても、「借金」が「悪」だとの論調は同意しかねるのである。

 資本主義の下、当然ながら「金利」とのバランスの中で経済活動を行っていくのであるが、時に低金利であれば借金して投資することへの性向が高まるのは当然だし、高金利であれば投資を控えて内部留保に励むことも当然起こりうる。要は経済活動のために負債を抱えてレバレッジを効かすのか、内部留保を高めて資産形成を待つのかの違いは、ある意味経営哲学と状況の違いによって異なってくるのである。

 その意味で、この国の借金についての考察は、今現在、この国がどういう状況に置かれているかという事実認識が極めて重要となる。ただ、「借金=悪」の構図を国民に説いてはミスリードになる。

 問題は、「返済のめどを持たない借金を重ねること」なのである。

 その意味で、国債管理政策というのはまさにやりくりを考えることそのものであり、いまやもっともこの国の行く末をリードする立場の政策とも言える。

 理財局の方のお話を聞いて、極めて冷静にかつ市場に目を向けて施策を練ってこられたとは思うのだが、それでもなお、民間の感覚から言えば、切迫感が足りないと指摘されてしまうのかもしれない。

 現有の国債の担い手の多様化を模索するのもよくわかる。とりわけ、個人向け国債と、海外向け国債の発行を何とかしようとの努力も理解できるのだが、いまや財務省がうわごとの様に唱える「財政の持続可能性」を、国債管理政策の中で果たして同じレベルで考えて捉えているのだろうか。

 どうも、財政規律をうたう伝統的財務省スタンスの主計局と、国債発行体としての従来からの消化をいかに安定維持するかの努力を重ねる理財局との距離は、いかんともしがたいものを感じてしまうのだが。

 来年の通常国会の冒頭の予算委員会は、さまざまな弾込めを必要とする。国債管理政策もその重要な柱の一つだと思っている。しっかりと、勉強して来年に備える。鬼が笑っても、かまわず進めるしかないな。

国債管理政策を考える