丸一年

2007年2月17日 (土) ─

 あれから、丸一年経った。

 単に過ぎ去ったなどとは、言えない。あのときから、党全体が、呪縛を逃れようとして必死になって過ごしてきた一年の重みは計り知れない。

 昨日、国対役員会で高木国対委員長と平野国対委員長代理からの挨拶の中で、あのメール問題から一年が経ったと挨拶された。そう、昨年の2月16日であった。

 忘れようにも忘れられない出来事であった。そして、多くのものが深く、立ち直れないほどに傷ついた。誰かの責に帰するのは容易(たやす)い。また、誰もがそうしたがる。

 しかし、そうではない根源的な原因を一同が一様に感じていた。そして、その要因を突き詰めていくと自己の存在の否定にすらつながると危惧した。だから、誰もが口をつぐんだ。そして、その後遺症とも呼べる空気は今も党内を覆っている。決して、消え去ってはいない。

 それは、誰が、あの昨年の2月16日の「コト」を生み出したのか、あるいは誰が「遭遇してしまった」のかなどという目先の話ではない。深く、重く、そしてだからこそわれわれ野党がやらねばならない命を賭しての戦いであることに、皆が気づいたということに他ならない。

 誰もが、2月16日を忘れたい。そして、自らがそんな大それたことをしているなどとは思いたくもない。しかし、現実に政権を狙うということは、そういうことである。権力に対して、恐れずに、臆せずに、立ち向かうということである。

 そしてそれは、当然ながら権力が真正面に潰しにかかる事柄であることは間違いない。

 民主党という政党は、一方の保守勢力としてこの国に二大政党制を実現しようという理想に燃えたものが集った。

 しかし、それが現実に実支配をする権力=自民党と闘うということに直結することをあまり意識しないで参集したものもいるだろう。自らの政治生命を奪われる戦いに身を置くとの覚悟が、全員にあるとは言えない現実がある。

 だから、あの2月16日のメール問題で、権力の中枢である自民党は執拗に民主党を謝罪広告の掲載など求めて、あそこまで徹底して攻め込み、追い込んだ。ダメージを徹底的に与えて、二度と権力の中枢に切り込めないように、と。

 そして、その戦略はまんまと当たった。民主党は、「羹(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹く」状態に陥った。

 だからこそ今こそ、この丸一年のときを経て勝負に出なければならない。恐れずに攻め込まねばならない。

 金曜日の予算委での、一期生の小川淳也代議士の質疑は、荒削りであったかもしれないが、そのファイティングスピリッツは素晴らしいものがあった。彼の頑張りには拍手喝采を惜しまなく送る。彼のような一期生に、闘う姿勢が出てくれば、後は波状攻撃が可能である。

 われわれは、きれいごとではなく、権力と戦っているのである。相手は、息の根を止めに来る。この覚悟を、113名のうち何人ができるかが、問われている。

 やれ、選挙だ、対案だ、政策論争だ、などという言葉で浮ついていてはいられない。

 闘いである。

丸一年