TPPに見る開国論の不在

2011年10月14日 (金) ─

 TPP交渉参加の議論が11月のAPECまでに煮詰められなければならないとして、政府内及び党内の議論が過熱しだした。

 ビジネス界出身の僕は自由貿易を推進すべきだとの立場は変わらないものである。

 民間時代、実際に93年より北米担当のCEOとしてNYに駐在し、NAFTAの恩恵によりメキシコのマキラドーラ(保税加工)によって製造業を営んできたときにも、日本でもいち早くこうした経済連携協定を結ばなければならないと強く実感したものである。

 こうした自由貿易、世界的な経済連携の必要性を十分実感として持ち得ているものであるが、しかしながら今回のTPP交渉参加は、慎重にならざるを得ないとの想いは強い。

 代表選挙の政権公約にもTPP慎重論を主軸とする「米国、ヨーロッパとのバランスを取った経済連携を行う」との一言を書き加えた。

 政権が米国との関係を最重要視し、今後の普天間をはじめとする基地問題にも日米との信頼感を醸成する必要があることからその第一歩としたいとの考えは理解できるが、TPPありき、あるいは「参加・不参加」の二者択一の議論はいかがなものかと思う。

 そもそも平成の開国と称しながら、「開くべきは何か?」の議論に深まりはない。

 「乗り遅れるな」との情緒論は先の米国との普天間を中心とする極めて重たい交渉の前段とするからこそ生まれる発想ではないかと感じる。そして、すでに霞が関の空気は、それ一色に染まりだしたようにも見受けられる。

 関税撤廃の中身のみならず、規制改革要求を条約に従って出すことを主眼とした米国の「年次改革要望書」の強制版を日本に踏み絵させることに他ならないのではないか。

 いずれにしても、ただただ、「日本を守るために反対」というこれまた極端な話と与するつもりはないが、中身の話をするところに立っていない現状を憂う。

TPPに見る開国論の不在