街の息づかい

2006年6月30日 (金) ─

 日曜日から地元に張り付いての活動に入る。街頭演説に支持者訪問、各種会合に集会。

 朝立ちと呼ばれる朝の街頭演説を終えると、スタッフやボランティアの皆さんと我が家に戻って朝メシ。

 取り立てておかずがあるわけではないが、米は山の農家から契約で毎月40キロが届けられる。業務用の精米機が我が家には設置されており、これで精米しゴハンを炊く。

 スタッフと共に、米だけはウマイ!と評判の朝メシを食べるのが何とも楽しい。おかずは漬物と生卵。

 毎日、同じメニューだが誰も、文句はない。だって、おいしいもん!

 「朝稽古がすんでのメシはうまいなぁ!」とつぶやくと、「これって朝稽古っすか?。」と聞かれて、「まぁ、そんなもんや!」と言い放つ。まるで、相撲部屋のようだな、確かに。まだ、相撲部屋ならチャンコの後に昼寝があって、とうらやましい時間が続くのだが、うちはそうはいかん。

 事務所に行って簡単に今日一日の行動確認を行って、出発。

 今週は、とにかく支持者周りと合間を縫っての集会や講演。久しぶりに、街を歩くとほんとに楽しい。車でいつも通りなれていた道なのに、歩いてみると見えてくるものやことにたくさん出会う。

 あれっ、この家の玄関リフォームしたんや?、とか側溝がきれいになってるわ!、とか家主が代わったんか...、などなど街の表情が微妙に変わっていることに気づく。お店も、品揃えが微妙に変わっていたり、なくなっていたり。

 街の息づかいともいえるものが五感に伝わる。

 よく、私は「代議士は、選挙、好きだから。」と言われてきたけど、ふと思うとそうじゃなくて、この地元活動が本当に好きなんだ、と気づく。

 街を歩いて、一軒一軒訪ねて、人と会って、時には叱られもしながら、人の暮らしと生きてる姿を知ることがホントに好きだ。

 夕げの支度の時の台所の匂いのような、生活感漂う、人の暮らしに触れることができる瞬間。喜びも苦しみも、すべてがごった煮のようになった人の営みに、私たち政治家が見極めなければならない本質が宿っている。

 一週間を経て、国会の疲れがドット出てきたと思っていたが、逆に日に日に元気になる自分を感じながら、この、街の息づかいを感じることのできる、感性を失わずにいたいと、あらためて思う。

街の息づかい