行政の無謬神話

2006年5月17日 (水) ─

 同期の代議士をはじめとする方々の声かけで、若手官僚との交流会が開かれた。

 各省の若手官僚の皆さん方と党内若手の議員との懇親会は、それぞれが同級生や同僚を誘ったりと完全にプライベートな関係での交流の場となった。

 そんな中、若手官僚の方と本音で話をする。

 いつも、政府や与党の失政を糾すことが命題のように掲げられるわれわれ野党。一方、常に政府として過去から今日までの行政行為に対して無謬(むびゅう)性を主張する官僚機構。お互いに、「無理あるよネ。」との理解が漂う。

 もちろん、政府や与党内での許されない判断、行為が明らかな状況では常に徹底追求しなければならないし、そのためのファイティングポーズはとり続けねばならない。しかし、何が何でも大臣の責任!、政府の責任!、与党の責任!、と叫び続けるのはかなりのエネルギーを要する。

 官僚の皆さんは皆さんで、例えば過去の政策を180度転換しながらも「無謬性」を常に主張することの矛盾を抱えながら、答弁書を作成する。そのストレスたるや相当のものだ。

 お互いに、「もっと、オープンに建設的な話ってのは、やっぱり無理なんですかネェ。」と話す。

 「政争」と「無謬神話」でどれほど国民が損失をこうむっているのかと考えると、つらいものがある。

 官僚の皆さんが、自らの無謬神話を素直に認めるところからきっと、改革が始まるんだろう。彼らが、やがて課長や局長と責任を担うようになる中、今の想いは変わらずでいて欲しいと願う。

 そして自らも、「反対のための反対」から脱却できる瞬間に、真の政権政党として国民の信を得ることができるのだろうと思う。

 迷いながら、そして、国民の側に立つとはどういうことかを考えながら、行きつ戻りつする自分がいる。

行政の無謬神話