第848号 平成最後の終戦記念日

2018年8月18日 (土) ─

 15日、73回目の、そして平成最後となる終戦記念日を迎えました。

◆戦争を風化させてはならない 
 全国戦没者追悼式において、天皇陛下は「過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、…世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」との、天皇としては最後の終戦記念日のおことばを述べられました。国内外に戦争慰霊の旅を続けられ、平和を祈られた天皇陛下の思いがこもったおことばだったと思います。

 来年4月をもって平成が終わりを告げようとしている今、昭和は遠い過去となり、戦争の記憶は風化しつつあります。こうした中、戦没された方々を鎮魂し、後の世代に戦争の惨禍をいかにして語り継いでいくかは、平和主義を国是とする我が国に課せられた非常に大きな課題です。 

 私は、例年、特攻隊の出撃基地となった鹿児島県の知覧で行われている特攻隊戦没者慰霊祭、及び広島・長崎の原爆慰霊式に出席するよう努めてきました。悲劇を語り継ぎ、戦争の歴史を記憶する大きな役割を果たしてきたこうした慰霊式典に若い世代の参加を促し、時を超えて受け継いでいかなければなりません。また、数少なくなりつつある戦争経験者の生の声を聞く機会を、教育現場に設ける機会を増やすことも重要だと思います。

◆歴史を直視した憲法議論を 
 今、戦争の惨禍を経て生まれた現行憲法の改正が議論されています。安倍総理は12日の講演で、自民党の憲法改正案を秋の臨時国会で提出できるよう取りまとめを加速すべきと述べました。自民党の憲法改正案の中核を成すのが9条の改正です。憲法改正を急ごうとする勢力の中には、戦争の惨禍や国家による過度の統制を経験した我が国の歴史の文脈を踏まえずに、「日本は普通の国になるべきだ」などとして、安易に安全保障の範囲を拡大しようとする主張、また、国防や非常事態と関連して、国民の権利を一定程度制約すべきとする主張も見られます。 

 しかし、憲法は本来、国がどのような歴史を重ねてきたのか、そしてその歴史の上に立ち、未来に向けてどのような国にしてゆくのかという国民総意の下での議論がなされるべきものであって、単に改憲発議に必要な議席があるから急いで行うものではありません。国民の中で、今秋にも憲法改正発議が行わるほどの問題意識の高まりと議論の成熟があるとは到底思えません。憲法改正は、強引かつ性急に行うのではなく、歴史の文脈に基づき、たくさんの方の声を聞き、議論を重ね、ていねいに進めなくてはなりません。 

 そして、私自身は、個人の権利を制約し、中央集権を強める方向の自民党の憲法改正草案よりも、権力の抑制、そして平和主義を掲げる現行憲法の方が、むしろ我が国の伝統的な価値観に寄り添うものだと考えています。近々、憲法改正の是非を争点に、総選挙で国民の信が問われる事態も十分想定できます。歴史を直視した先にこそ進むべき未来がある、戦争という過ちを決して繰り返さない、その誓いを胸に私は来たるべき論戦に臨みます。(了)

 

森ちゃん日記「次世代へとつなぐもの」
 “平成最後”という言葉を耳にするようになって、まもなく訪れる次世代の幕開けに、この時代をどう形付けていくべきか、責任を持ってどう繋いでいくべきかを考えてみますが、時間はそう残されていません。 

 平成元年生まれの私の世代は、核家族化と情報社会が取り巻く環境の中で育った、いわゆるゆとり世代です。時代の変革の波は教育から働き方にまで、私達は、生活と密着するあらゆる社会の変遷に立たされてきました。そして、社会人として次の段階へと進む世代となり、社会を取り巻く労働時間や非正規雇用、待機児童など自らの問題として意識し、行動しなければなりません。 

 日本大学による一連の騒動や医学部入試問題、ボクシング連盟による報道を見ても、大きな組織や力を背景に、小さな声をないがしろにしてしまう社会が跋扈する中で、小さくも正しい声が届くべき場所へ届きにくくなっているのではないか。働く世代、子育て世代の私達が、悩み、苦しみ、生活の課題に直面した時に、政治や行政について関心も薄いがために、行政サービスが何も受けられない、そんな声を届けるために今何をすべきか。普通に暮らし、生活する私たちが、豊かになれる事を実感できる社会を次代に繋げていく、このことが私の使命だと感じています。

第848号 平成最後の終戦記念日