第828号 森友問題幕引きを許すな
27日、森友学園への国有地売却に関する財務省の文書改ざん問題について、事件の鍵を握る佐川宣寿 前国税庁長官への証人喚問が行われました。
しかし、佐川氏は自らが刑事訴追を受ける可能性があることを理由に50回以上にもわたり証言拒否を行い、改ざんの経緯は明らかになりませんでした。
◆事実解明と国会の役割
与党議員からは、佐川氏の証人喚問を受け、「総理や総理夫人の関与はなかったことが明白になったので、後の真相解明は捜査機関の手に委ねるべきだ」という声も聞かれます。
しかし、改ざんのプロセスについて佐川氏が証言を拒否している以上、政治の関与が無かったという結論を導くことは出来ず、疑惑が解消されていないのは明らかです。
また、「後は捜査機関の捜査や司法の判断によるべき」という意見も、国会に与えられた国政調査権の意義を否定しかねないものです。
本件で国会が明らかにすべきなのは、不正を招いた行政の構造と、背景に疑われる政治の関与の有無です。佐川氏が捜査を受け、仮に刑事責任が争われる事態になったとしても、裁判は「個人の責任」の有無の限度で事実を争う場である以上、司法の場で、制度的・構造的な問題を含めた全貌が解明される保障はありません。制度に関する問題の解明は国会で行う必要があります。
そして、真相解明のスピードも重要な問題です。文書改ざんと密接に関連する籠池氏の逮捕からはすでに半年以上が経過し、起訴されているにもかかわらず、公判は始まっていません。また現時点で裁判がいつ始まるのかも不透明です。
このまま疑惑が疑惑のまま長期化し、政治への不信感が置き去りにされたまま、数年後に司法の場で事実が認定されたとしても、それが国民が望む真相解明のあり方であるとは到底思われません。国会は、行政監視という本来的役割を全うするため、捜査機関や司法に委ねるのではなく、制度・構造上の問題究明という観点から主体的に事実解明への手段を尽くすべきです。
◆「佐川氏個人の問題」で終わらせてはならぬ
本件については、証言を拒んだ佐川氏を批判する声も聞かれます。しかし、証人には、自らが罪に問われる可能性がある事実を証言することを拒否できる憲法上の権利がある以上、事実が明らかにならないことを、佐川氏個人の責任として非難すべきではありません。
批判されるべきは、佐川氏個人の喚問のみによって本件の国会による事実解明を終わらせようという一部の動きです。
これまでも多くの国政上の疑惑に対して証人喚問が実施されてきましたが、真相解明につながってきたとは言えないのは、証言拒否が見込まれる人物の喚問のみに頼ってきたのが一因と思います。むしろ、証言拒否が行われるであろうことを織り込んで、様々な立場で本件について事情を知ると思われる人物を証人や参考人として国会に招致し、証言を吟味していかなければなりません。その中には、当然、安倍昭恵氏も含まれると考えています。(了)
森ちゃん日記「変わる安定志向」
4月となり、新入社員として新たな一歩を踏み出す新社会人と、就活戦へ向けスタートを切った新就活生の動向が、働き方改革に関心が集まる中で注目されています。若者が働き方の条件やポイントとして何に価値を見出していくのかが注目されています。
労働政策研究所による働く現役世代へのアンケート調査によると、終身雇用、組織との一体化、年功序列の三点について、良い事だと思う、と答えた現役世代の割合は、7割を超えているそうです。このデータから解るように、現在の日本型の雇用慣行に対する高い支持は、組織に属する一体感と安定を第一に求めて働く現役世代の動向が伺えます。
一方で、そんな安定志向が変わりつつあるデータもあります。
最近の若者は、リスクを避けて安定を第一に考える公務員を選択すると指摘されることがあります。しかし、2016年以降の公務員人気にも変化が見え始めてきているそうです。
全国の都道府県と市区町村の事務職、技術職における2016年度の職員採用試験の競争倍率は平均6.5倍で、1994年以降で最低だったそうです。組織の利益が最優先とされてきた考えから個人の利益を優先する価値観によって、様々な働き方による、多種多様な民間企業の人気が高まってきていると考えられます。
また、スマートフォンの普及と活用から、企業説明会など複数のあらゆる企業情報がタイムリーにかつ簡単に入手でき、情報収集と分析が個人ベースで簡素化になったことが挙げられます。安定志向のため単にリスクを避けているのではなく、あらゆる情報の中からリスクを事前に判断し、働きがいのある職場を選択することが可能となったのではないかと感じています。
企業とのマッチングのシステムの向上がこれからの労働環境の是正への近道だと感じます。目標がなければ、賃金や労働時間に関係なく生産性は低下します。やりたい事を見つけられる便利な時代だからこそ、残業時間や賃金に縛られることのない、働き方が作られるためには、働かされているのか、自ら働いているのか。
ここに大きな違いがあるように感じます。