怒涛の証人喚問(その3)
インターバル中に、国対役員室へ。
野田国対委員長から、「全国民が見てる。民主党への大きな期待がかかっているぞ。乾坤一擲の質疑を頼む!。」とハッパをかけられる。
「乾坤一擲」。
野田さんからのこの言葉は重い。2002年、かつての代表選挙で、多くの政治家たちの心を震わせたその演説は、まさに野田さんの「乾坤一擲」であった。野田さんから、この言葉を聞くと重い。そ、そ、そんなの俺に、できるか!?。
やるしかない。アセロラドリンク飲んで、第一委員室へと飛び出す。
もう、眠くなんかないぞ。いよいよ御大登場である。内河氏は入院先からということだったが以外に元気そうだ。
内河証人は与党議員の質問に対しても、余裕がありあり。明らかに、姉歯証人や木村証人、篠塚証人とは違う。さすがコンサルタント。
いよいよ、私の番。
民主党の持ち時間、38分すべてをいただいている。本来の国交委の皆さんが使うべく出番を、私にいただいた。何よりも、党の国交委員会全体のマネジメントを行う立場の長妻筆頭へのご判断に心から感謝しつつも、気合が入る。
まず切り出しは、総研スキームの話を、削除されたホームページから引用し総研のコンサルの位置づけを質す。予想通り、契約上は経営指導ということで設計や施工への指示は行わないとの発言が繰り返される。
さすが、今までとは手合いが違う。余裕も含めて相当の腕前。コイクチ切った状態で、見合っている段階でその腕がわかる、という真剣勝負の世界のようだ。久しぶりにやりがいあり!。
緊迫した状態が続く中、核心に近づいていく。
本尋問に向けて、短時間ではあったが姉歯証言と木村建設証言で必要な証言はすべて取っている。
じわじわと、全体構成を明らかにしていく。内河氏の表情に躊躇が見え出し、座っているときの肘掛に置いていた右手の指の動きがせわしくなる。やたらと顔をなでる。
詰めは、内河氏の証言の二転三転を追求しながら、総研の設計への関与の事実を明らかにすること。
姉歯証言で、総研の四ヶ所氏との関係は数回にわたってあることが判明。木村建設証言で、「総研スキーム」では総研が事業管理者として中心をなしかつ平成設計を100パーセントコントロールしていたとの証言を引き出している。後は、この関係の中で、平成設計に具体な構造の指示を総研が出しているか否かの一点に絞る。
総研に、具体に構造を指示する、指示できる人間はいるのか、技術者はいるのか?。
この問いかけにも、答えが二転三転する。そして、断じて指示はしていない、と内河氏が証言する。
もはや、これ以上はないだろう。この先、何を詰めても最終的には「自分だけは知らなかった」という部分を残されるのは明白である。
ここで、「四ヶ所メモ」を提示。見る見る顔色が変わる。
指示じゃないですか!?。指示じゃないですか!!??。と畳み掛ける。
私が行うべき解明は、総研スキーム(彼らはその建築仕様を総研スタイルと呼んでいる)なるものの存在を組織実態と金の流れで明らかにし、かつそのスキームの中で設計部門を実質的に掌握し、かつ施工や設計(構造!!!)までにも指示を出している「実態」である。
その先に偽装偽造があったかはケースバイケースになるのだろう。
しかし、こうしたスキームの存在は、突き詰めれば経済性を最上位に考えた結果、リターンと一体のリスクを何の過失もない消費者に押し付ける結果になることは、経営者として予見できたはずである。
かつて、「目玉売れ、腎臓売れ!。」と言って非道な取立てを行っていた商工ローンの会社は、その実行の会社員の逮捕のみならず、そうした結果を招くノルマや社員管理を行っていた経営者の責任が厳しく追及された。
このケースも同様ではなかろうか。もちろん、この先は司直の手にゆだねるものなのかもしれない。しかし、われわれは、事実の解明によってのみあらたな立法措置や行政措置に対して公平性や公正性を担保する議論ができるのである。
内河氏への尋問は、最後に、自らの政治家としての価値観、今日の日本の荒廃ぶりを語りながら、私たちが失いかけているものを改めて取り戻す契機にしたいとの思いを持って、演説をぶつけたつもりである。
あの尋問のラストの8分間、私には選挙のときに降りてくると語り続ける神様と同様、国民の思いを一身に受け止める瞬間にのみ感ずることのできる、降臨を感じた瞬間でもあった。
「選挙の神様」は、「国会の神様」となって私に舞い降りた気分であった。
多くのその後の国民の皆様の声は、激励とともにわが事務所のサーバーをパンクさせ、電話回線をパンクさせる結果となった。
かつてないことであった。今日までを支えてくれた奈良のスタッフには電話で感謝を伝え、国会のスタッフには、ハイタッチ!!!。
質疑後、テレビ各社に出演しまくり、宿舎に着いたのは12時を回っていた。
何か、大きな歯車が回った音が、その夜、聞こえた気がした。