身辺警護と祭

2005年12月20日 (火) ─

 証人喚問の後の、膨大なアクセスによってフラフラの状態が続いている。

 もちろん、マスコミだけでなく電話、ファックス、メール、訪問など、ありとあらゆる方法での本人や事務所へのコンタクトが図られる。ほぼ、対応で忙殺される。

 9.9対0.1、すなわち99%の好意的な励ましの声が届く。ありがたい反面、こんな状態がいつまでも続くわけはない。いずれ「上げて落とす」の憂き目にあうことも、覚悟しなければならないししているつもりである。

 そんな中、「次の追求は、できなくなるぞ!。わかってるな!。」の脅迫(!?)とも取れる電話がかかってくる。

 うーん、と思案して野田国対委員長と長妻国交委筆頭理事に相談する。党として、しばらくの間、警護体制を考えるとのこと。事務所では、拉致などされた場合の緊急発報の警備会社契約を済ませる。ギョッ!!!。そして、さらに移動などには同行の秘書がつく。オイオイ、本当に物騒だぞ!。

 さて、このような状況に陥ってしまったからには、もうひとつ対応せねばならない重大な問題があった。おん祭である。衆人環視の中、行列の中での所作。台傘が今年の役である。

 これは、マズイ...。祭に迷惑をかけることになりかねないし、警護つきなどでの行列参加などあり得ない。

 意を決して保存会の森本会長の下に飛んで行く。練習の場所に行って、事情を説明する。黙って聞いておられた会長は、大きくうなずいて語った。

 「わかった。よー事情はわかった。今回は身の安全と祭のために降りてくれ。お前の気持ちはわかっとる。祭は、ずーっと続くんや。870年続いてきた祭や、また台傘やってもらう機会は何ぼでもある!。」思わず、頭を下げる。やさしい言葉にぐっと来る。

 皆さんとのおん祭には、今回はこういう事情で参加できないが私の気持ちはおん祭のこの奈良の地にある、と伝えて後にする。

 本当に、年末押し迫ったこの時期にあまりにもいろいろなことが起きすぎる。平穏な一年の終わりを迎えたいと思っていたのだが、とんでもない。まるで、嵐の中にいる状態のまま一年が過ぎ去ろうとしている...。

 そして...、何の因果か、翌々日、おん祭は本当に残念なことに、この冬最大の寒波の到来による凍結、雪などの荒天のため、実質中止となった。

 伝統ある祭もまた、大寒波という嵐に翻弄されてしまったのだった。

身辺警護と祭