復興財源に増税は誤り

2011年7月31日 (日) ─

 何やら身辺あわただしくなってしまった。今までと何ら変わらない状態なんだがな。

 だから、今まで通り、淡々とそして粛々と行うべきことを行っていく。

 復興の議論は、復興債の財源措置のための増税の是非に集約されつつあることに疑念を感じる。

 復興債は復興基本法の定めるところの復興資金確保のための区分管理による公債と定められているが、償還の道筋を明らかにするものとする、との定めから10年償還、基幹税などによる財源措置などの議論となっている。

 しかし、この発想は財政法15条による災害復旧のための公債発行の概念を援用したに過ぎない。

 百年に一度、あるいは千年に一度の地震や津波による都市の消失、社会資本の喪失は区分管理はもとより長い年限での償還を前提にすべきだ。

 16.9兆円とも言われた内閣府推計の被害総額は原発事故被害などを含まない社会資本関係の総額。詳細はまだ明らかではないが、関係する機関の概算で民間インフラ以外だけでも10兆円規模の社会資本整備となることは間違いないであろう。

 いずれにしても、これらについては見合いの資産が必要な社会資本として提供されるわけだから建設国債(60年償還)を充てることは十分妥当だ。

 前政権下における、景気対策で行った「掘って埋める」式の財政出動(公共事業)とは意味が違うのだ。

 このような状況にもかかわらず、なぜ、短期間の償還公債を規定して財源を税としていかなければならないか、僕にはまったく理解できない。

 いずれにしても、今は何よりも復興と同時に経済をどう発展させるかに尽きる。

 経済発展というパイの拡大以外に現時点で政府がとりうる道はない、と信じる。こう述べると必ず、もはや経済の発展などは望めない、経済至上主義者との決めつけをされるのだが、僕は経済の世界で生きてきたものとして「持続可能でゆるやかな成長」を否定するわけにいかない。

 忘れてはならないのは、戦後の高度経済成長を経て、世界中の先進国も名目GDPの2~3パーセント成長、すなわち緩やかなそして持続可能な成長をめざし、そして実現またはその努力を積み重ねている。

 98年以来の長きにわたるデフレ経済を、所与のものとし、何ら効果的な金融政策を打ち出そうとしなかった反省こそ、今行うべきではないのか。

 テレビで僕は景気回復のための金融政策「量的緩和の実施」を訴えたところ、コーナーキャスターは「お金をばらまく」と説明した。まったく違う。金融市場の資金ボリュームを上げるということをご理解いただ
けていない。

 やはり、言い続けるしかない。

復興財源に増税は誤り