勝利の確信
午後を回った段階で、コッソリとそして続々と各社の出口調査結果の一報が入る。それぞれで幅はあるが、14~5ポイントのリードは固い。
これを書いているのは上京中の新幹線の中なので、いまだ投票箱のふたが閉まっていない時間だから公表するわけにはいかないが、これで勝負は決まった。
圧勝だ!
当確打ちが何時になるかがマスコミのせめぎあいになりそうな状況だが、ゼロ票打ち(開票率ゼロパーセントで当確打ち)もありそうだ。投票率も60を超えそうな勢いのようだし、とにかく良かった。そしてホッとした。
勝利は、水曜日に確信した。
土砂降りの雨の中、徳山で降りて下松市内でのミニ集会連発。道行く人も含めて光市での党三役そろい踏みの集会に行ってきたという方と何人も出会った。
後ろから「見えん」と言われて傘もささずにずぶぬれになりながら応援してきたと胸を張る女性。「絶対、勝たにゃいけん!」との気合が溢れていた。光市まではよう行けんかったが、「ここでモノ言わにゃ」と語気強める男性。馬鹿にしちょる!と、政府に怒りをぶつける。
イシューセッティングも決まった、と以前に書いた(2008年4月21日 まぶちすみおの不易塾日記 「各社調査が出揃って...」)。
年金、後期高齢者医療制度をはじめとする社会保障に対する不信と一方で止まる様相のない官僚と政治家による税金の無駄遣い。「決めフレーズ」を繰り返しながら、聴衆の反応を見つつ言葉を削ぎ落とし、あとは気力を振り絞って魂を乗せて伝えるのみ。「税金の使い方」が問われている、と。思うようにメッセージが有権者の胸に響きだしたラスト4日間は、かけらも不安のない選挙戦。手ごたえしか感じなかった。
一瞬心配した「緩み」は杞憂で終わった。平岡さんのリードという先週末の調査結果にも、決して緩むことのない有権者の意識。危機感をもって、そして政府自民党への不信感と怒りをもって、山口2区の有権者は選挙に臨んでいた。
水曜日の夜遅く、マスコミとの懇談会で光市での集会の模様を聞き、「ほんとおおおにすごかった」と聞いて有権者の声と一致する客観情報の裏が取れた。少し、安心してベッドに倒れこんだ。
翌日、快晴の中の集会や街宣での手応えは、既に伝えたとおり。選挙中ゆえ、選挙情勢の客観的評価や分析は書けても選挙結果を左右するような内容は控えた。読者の中には行間から感じ取ることができた人もいたかもしれない。
水曜日の勝利の確信の後は、最後まで緩まず徹底的にやりきることがミッションだと位置づけた。
金曜日、相手候補の本拠地柳井でも勝利を確信した。
相手候補とのかかわりは前にも述べた(2008年4月11日 まぶちすみおの不易塾日記 「山口へ」 )が、なんとしても平岡さんに勝ってもらわなければ、またもや官僚の「天下り」の指定席としての議席を与えることになってしまう。
陣営も、「あそこは難しい」としていた相手候補の地元。そこを柳井専属としてがんばった同僚の松本、三谷、和田代議士たちをはじめとする広島県連スタッフの、それこそ地を這うようなエネルギッシュな活動もすばらしく目を引くものがあった。僕も、岩国はもういい!、と柳井に絞って事務所や県連のスタッフを送り込みかつ入った。成果はあったと思う。
そして金曜日、候補者と最後のスクランブルだった柳井のユメタウンでの平岡さんの演説。今までの彼の国会での発言もすべて含めて、最もすばらしい言葉だった。
「最初は、この選挙、政権交代への道筋を付ける選挙だと自分も思っていた。だけど、選挙区内を走り回り、こんなにも多くの有権者が今の政治に不満に思っていることが多いことを直接耳にし、自分は政権交代よりも前に、1人の国会議員として地元の皆さんの声を何よりも届けなければいけないと強く感じた。それが、何よりも大事な自分の使命だと感じた。だから、どうか平岡をもう一度国会へ送ってください!政権交代も必要だが何よりも地元の皆さんの声を届けるために、平岡を国会へ送ってください!」
平岡さんの、率直な言葉は聴くものの胸を打ったに違いない。この勝利は、まさに国民の皆さんの勝利だ。有権者の怒りと不安と不満が渦巻く今の政治への不信任の意思表示だ。
間違いなく、大きな選挙に、我々は国民の手によって勝利した。このメルマガ、ブログがアップされるころには公に勝敗が決しているだろう。
いよいよ僕らは重大な局面に、全責任を負って立つことになる。